T.REX(ティーレックス) / MARC BOLAN(マーク・ボラン)のトリビュートサイト
Marc Bolan(本名Mark Feld)1947年9月30日生 1977年9月16日没。1970年代のグラムロックシーンを代表するアーティスト。 David Bowieらと共にグラムロック・ムーブメントを引き起こした。洗練された音楽・ファッション・詩からは、未だに新たなファンを生み出す神秘的な魅力(永遠のカリスマ)を感じさせる。

« ネコの爪磨ぎボックス | メイン | 夜道の眼鏡探し »

2003年07月28日 | 投稿者 taku : 2003年07月28日 10:15

オアシスへ行こうか

夏の休日。これといった予定の無い日はとりあえず図書館に行く事がある。読みたい本があるわけでもなく、ただ其処に足を運ぶ事で、
知的好奇心を満たすだけの何かを期待しているのかもしれない。
本棚を呆然と眺めるのが好きだ。

いくつもの主張や意見が神経質に意見を交換しているように見えてくる。中には相反する主張が向かい合って火花を散らしている事すらある。
足元の方でひっそりと、こちらの様子を伺う大型図書があると、タイトルも見ずに手にとってみる。大概、写真や図鑑の類で、地図などもその類の一つだ。
テーブルが空いていれば、世界地図をいくつか持ち運び想像旅行に出る。前に行った場所を追いかけたり、適当に開いたページの地域を眺めてみたり。
高校の図書館には大学と同じくらい濃い内容の本がいくつかあった。およそ受験には関係のないコーラン(しかも大正15年の代物!)や、篠山紀信のヌード写真集、インド哲学全集など。月並みではあるが漱石全集も綺麗なまま置かれていた。読破した。

公立の図書館に通い続けるうちに、誰の手にも触れる事無く同じ場所で鎮座している本がある事に気付く。
タイトルだけは親密だが内容を知らない本と目が合うたびに、どこか気まずい心持になったりもする。
ある時、いつものルートで館内を徘徊していると、いつも定位置にあるはずの「あの本」が貸し出し中になっているのを発見する。長い間、誰の手にも取られる事無く、背表紙だけの存在が、
誰かの家に今あるのだと思うと妙な心持になる。どんな人が借りていったのか、ちゃんと読んでいるのか。ちゃんと期限以内に戻るのか。

ある程度借りる本が決まると、次に月刊誌コーナーでしばし休憩しようと場所を探す。ソファーは心地よい。心地よいと眠くなる。寝ている人は当然移動しない。まるで地蔵だ。
まあ、その地蔵達の気持ちも判らないでもない。
ただ、鼾地蔵は妙に目立つ。クーラーの効いた自宅で地蔵然とするのは文句の与得る範囲ではない。移動図書館はあっても移動地蔵は恐らく図書館でのみ拝見せらるる妙景だ。
なんだか可笑しくなってくる反面、どうにかしてどいてもらいたいという気持ちになってくる。そのうち自分に魔法が使えたらと怪しげな思考となり、それも飽きる頃にはどこかしら場所が空く。
図書館はオアシスでもある一方、一種の阿片窟のようなものだ。自分としては、前者の方の利用者になるよう心がけようと思う。