T.REX(ティーレックス) / MARC BOLAN(マーク・ボラン)のトリビュートサイト
Marc Bolan(本名Mark Feld)1947年9月30日生 1977年9月16日没。1970年代のグラムロックシーンを代表するアーティスト。 David Bowieらと共にグラムロック・ムーブメントを引き起こした。洗練された音楽・ファッション・詩からは、未だに新たなファンを生み出す神秘的な魅力(永遠のカリスマ)を感じさせる。

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2004年02月02日 | 投稿者 taku : 2004年02月02日 10:15

ネコの話の続き

早朝、おそらく5時頃。ドアの向こうでネコが「遊ぼうよ~」と突然やってくる。
体はだるいし、頭もすっきりしてない。大体、こんな朝早くからネコと遊ぶエネルギーなど毛頭無い。
しかし、無視出来るほどの勇気もない。
仕方なくドアを開ける。すると、部屋中に響く程大きく喉を鳴らす音と共に、ゆっくりと枕元に着座し丁寧に挨拶を始める。

目を開けるのは億劫だったが、布団を少し上げるくらいはそれ程苦でもなかった。
スルスルっとふわふわした物体がわきの下をお腹をくすぐるように入ってきた。暖かい。冬は猫コタツに限るなと、寝ぼけているくせにそういう仕様も無い事は容易に思い付く。
しばらくの間布団の中で大人しく横たわり、喉を鳴らしてご機嫌のようだったが、飽きっぽい性格だからか、また何処かに行きたがりドアと開けてくれと要求する。

寒いし眠いし面倒なんだけど、来た時と同様に断る勇気が出せず言うなりとなる。
何度かドアをネコの手で開けさせる訓練みたような事に挑戦してみたが、レクチャーを受ける当人は全く迷惑そうにちっとも覚えようとしない。

そもそも、他人の言いなりになるような性格では大器にはなれないだろうし、我が道という確固たるベクトルを有さないのは損だ。
ネコというのは、自分の持つべきベクトルを有しつつも、適当なところで柔軟性を発揮する。彼から教わる点は大きい。

こういった感覚は何も猫からのみ得ていくものでもなく、犬と一緒に暮らしている人であっても、何かしら観察の対象となる何かがあれば自然と得られるものであると確信する。
私の場合は身近にネコがいるから自然と、恐らくそれは感覚的なものであるかもしれないが、いづれにしても客観的思考を養う訓練のようなものを無意識の内にさせてもらっているのかもしれない。
彼ら猫の生活そのものが羨ましいとは思わないが、寝ているネコの横顔が笑っているように見えるときは、何ともいえない幸福感を味わうと同時に、平穏な生活にー誰に対してではなくー改めて感謝するのである。