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2005年06月22日 | 投稿者 taku : 2005年06月22日 12:00
和田堀公園の猫たちについて
タイトルから一見して地元ネタであるから、井伏鱒二ほどの文豪ならまだしも、名の知れぬ人間の話を聞く人はそうそう居ない。判ってはいるが、書きたいので書く。その日、というのは先週の日曜日の昼下がり。
友達にとあるプロジェクトのプレゼンをした後、中半強引に散歩に連れ出し和田堀公園周辺を散策してみた。
貴乃花が初詣に来ていたことでも有名な大宮八幡宮という神社の、善福寺川を挟んだ裏手に和田堀池を取り囲むように公園が広がっている。その周辺はさしずめ杉並のハムステッド・ヒースという趣き。
そんなハムステッド・ヒースの中に、このご時世にはミスマッチなほどの集客力を誇る盛況な釣堀があったり、周辺に位置する運動場利用者のものと思しき違法駐車の車列が幅を利かせていたり、太鼓やギターをかき鳴らして野外ライブ状態のおじさん集団など、昭和の片割れが粘着している一方、ノラ猫が泰然と、寝たり、寝転んだり、歩いたり、走ったりと、たいそうのんびり過ごしているポイントが点在している。
猫水、私はいつしかそう呼ぶようになる「空き缶に満たされた猫用の水」が、そこかしこに設置されていて、名の無いボランティアの方々が頻繁に水を取り替えているようだ。その労力たるや如何程にならざらん。
公園では猫たちを虐待する人間が居るそうで、ハコの中で気持ちよさそうに寝ている猫を、箱ごと川の中に投げ入れたりする事件が後を経たないのだそうだ。
ただ、ノラ猫を公共の場で勝手に飼育するという事にも平然と同意出来る事ではない。実際、大きくなって飼えなくなったという理由で猫を捨てに来る人が後を経たないようだ。実際毛並みも綺麗で、人間にとても懐いている猫達に出会う事が出来る。しかし、彼らの声はどれも涸れている。
その事情を知る人に寄れば、捨てられた大人の猫達は、捨てられた時は寂しくて、悲しくて、そして恐くて泣き止まないのだそうだ。泣きすぎて声がすっかり変わってしまうというのだから、あんまりだ。
私は現実的な事や、論理的な判断をするのが常ではあるが、こういうときに限っては、虐待したり、生き物を粗末にする人間にバチが当たって欲しいと切望する。
2005/06/22
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