T.REX(ティーレックス) / MARC BOLAN(マーク・ボラン)のトリビュートサイト
Marc Bolan(本名Mark Feld)1947年9月30日生 1977年9月16日没。1970年代のグラムロックシーンを代表するアーティスト。 David Bowieらと共にグラムロック・ムーブメントを引き起こした。洗練された音楽・ファッション・詩からは、未だに新たなファンを生み出す神秘的な魅力(永遠のカリスマ)を感じさせる。

« ▼およそ週間コラム | メイン | ▼サイト設立以来はじめてのオフ会 »

2005年08月05日 | 投稿者 taku : 2005年08月05日 00:00

(55)暑い夏の黒猫について

唐突だが、日本語は難しい。
日本人にとって「ひととき」という言葉は、それが一瞬ということではなく、「ある時に過ごしたいくらかの間(あいだ)」を意味することが判る。
例えば、今は季節なので夏を例に取ると、
「ある夏のひと時、私は恋をした」というフレーズからは、夏休みもしくは盆休みなど、およそひと月前後の間の出来事を示す。
しかし、これを日本語に明るくない人(母国語が日本語以外の人)から見ると、物理的に短時間であることを連想するという。
ひと時という時間の解釈は、限定された時間を示すものではなく、前後の文脈と読み手の経験を頼りとする。
こうした言葉は、日本人が時間に対して寛容であった事を意味すると同時に、お互いに共有しているであろう経験や価値観を信頼して使われる言葉ではないだろうか。

タイトルの「暑い夏の黒猫」というのは、そこに漢字を使っているので多少理解が容易だろう。
これをひらがなにすると、「あついなつのくろねこ」となり、絵本で見かけるようなやわらかい感じがすると同時に、猫のやわらかさもこれらの文字のみで表すことが可能だ。
ただ、それは表面的な解釈であり、厳密な意味を汲み取ろうとすると多少困難を必要とする。
猫そのものが熱いのか、夏の黒猫が熱いのか、暑い夏の「黒猫」のことなのか。
もちろん、このような稚拙な例題は余り参考にはならないが、そこかしこで見かける文節において、こうした誤解を招く表記が多いのも事実である。

いわゆる「掲示板」などの書き込みで目立つのが、圧倒的な説明不足による記述や、日本語の表現記号としての優位性を根底から覆す乱暴な表記である。
これは、恐らく日本語での「書き込みと閲覧」を対象にしている掲示板全般に共通している事だと思う。
原因の一つは、「書き込み」ボタンを押すと即座にそれが反映されてしい。修正が困難な事がある。
こうした兆候は不思議なことにxDslユーザーに多い事がアクセスログなどを見ていて判明してくる。

以前、草の根BBS全盛の時代は、ミカカ代を気にしてローカルで文書を作成しておくというのが一般的であったと思う。
ミカカ(=電話代。キーボードでNTTをたたく際にFEPがかな入力になっていると"みかか"と表示されることから生まれたオタク用語。ミカカ代と書くと電話料金を意味した。1990年前後に生まれた言葉だと思う。)

現代、電話料金を気にすることも無く、オフィスなどからでも自由にWEB Surfingを楽しめる時代なった事から、どうも言葉にゆとりが生まれすぎているように感じる。
いい大人が無茶苦茶な文章を書いている事もある。さらによくあるのが自分の書きたいこと(主に自慢)だけをつらつらと書いて、読み手を一切念頭に入れていない内容も多い。

逆に、若い人の方が言葉に対して丁寧に感じることが多い。反面教師がそこに隠されているのだろうか、余程今の若い世代の方がしっかりした文章を書いているに違いない。
明瞭且つ簡潔、そして、何より彼らの敬語は、その辺の大人を任じている人より正しい使い方を心得ているではないか。

時と場合によって、言葉の使い方は選ぶべきであり、それはどの言語においても共通するものである。
円滑なコミュニケーションを図る上での最重要課題の一つであり、まさにそれが出発点であるという結論を下すに、論理的な反論は困難だろう。

ミスをするのは仕方がないと思う。ただ、特に昨今目立つようになった解釈不能な文章の多さはさすがにひどいと思わざる得ない。
暑い夏の黒猫が、これを読んで一体どう思うのかは判らないが、少なくともうちのあついなつのくろねこは、言葉以上のコミュニケーション伝達手段で的確に自分の意志を伝える能力に長けているのだから、人間は言葉をただ持っているだけでなく、それを有効に使える努力を今後も続けていく方が良いのではないだろうか。


2005/08/05