T.REX(ティーレックス) / MARC BOLAN(マーク・ボラン)のトリビュートサイト
Marc Bolan(本名Mark Feld)1947年9月30日生 1977年9月16日没。1970年代のグラムロックシーンを代表するアーティスト。 David Bowieらと共にグラムロック・ムーブメントを引き起こした。洗練された音楽・ファッション・詩からは、未だに新たなファンを生み出す神秘的な魅力(永遠のカリスマ)を感じさせる。

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2005年12月29日 | 投稿者 taku : 2005年12月29日 00:28

最近、リサイクルショップが面白い。

リサイクルショップには、大きく分類して3種類ある。
一つは、衣類などの布がメインの店。地域コミュニティー参加型のフリーマーケットといった雰囲気がある。
二つ目。ブランド品がショーケースに並ぶショップ。リサイクルとはいえ、そこそこ値が張る。高級腕時計も。
そして三つめが、とりあえず何でもあるリサイクルショップ。
取り立てて「魅力的」なものが並んでいる事は余りないが、たまに掘り出し物がある。
そういう店は、仕入れ値が無料もしくは、引き取り料として逆に料金を手に入れている事があるので、値段なんてなくても成立するような状態らしい。

この3つめのリサイクルショップをめぐることが最近の楽しみの一つ。
まあ、大抵の場合、欲しいと思えるような物と出会えるチャンスはなかなか巡ってこないが、たまにお宝を発掘したような気分になる事がある。



とあるリサイクルショップに初めて入ったときの事。
店に入るなり、「こんにちは」という景気の良い挨拶が耳に届く。
声が出てきた方向を見遣ると、40代後半の店主が笑顔で迎えてくれた。
今までの経験上、リサイクル・ショップの店員というのは、挨拶も積極的でなく、古本屋のアルバイト店員と同じ物静である、という印象が強い。
中には、無言でじろじろ見てくる気色の悪い店員もいる。
しかし、「こんにちは」と言われたのは初めてだった。余りにも突然で、しかもその声に不自然さを感じなかったのでこちらもつい「こんにちは」と返事をしてしまった。

店内には、子供のおもちゃからテレビ、服、雑貨、食器などが雑然と詰まれている一方、カウンターの前のテーブルには、タイやインドネシアの雑貨や土産物などが、なぜかそこだけきれいにディスプレイされている。

何かのきっかけで店主は長話を始めた。年に何度かタイやベトナムあたりを放浪の旅行に出かける話や、在日中の留学生と近所のタイ料理屋で交流を深めている事。
彼の簡単な略歴などを披露もされた。
ちょうど、夏の夕日がかんかんと照り続ける頃の事だったので、その店があたかもホーチミンの雑貨店のように思えてきた。
結局、その日は何も見つからず何も買わなかったが、店主はまた遊びに来いというので、後日遊びに行く事にした。

別の店でのこと。そこは、住宅街の中にぽつねんと姿を現してしまってどうもすみません、と謝っているような店構え。
店の面構えと、主人の態度が絶妙なシンクロ具合である。
「専門外以外の値段はわからないから」という店主は、品物の価格を聞いた私に「いくらなら買いますか?」と聞いて来た。
近所にタバコを買いにいくついでに立ち寄ったような店だけに、小銭しか持っていなかった私はありえない価格を提示してみると、「それでいいです」とおっしゃる。
そう言ってくれると嬉しい事には違いないが、気が引ける。ただ、実際ポケットの中にはタバコ銭程度しか入っていないから、「じゃあそれで」の一言で決着がついた。
その時、店主の好意か何かで譲ってもらったのがT.RexのEPだ。

とあるギターがケースに入って転がっている店を見つけたときの事だ。
その店はでは、何度かこまごまとしたものを買っていて、店員も顔を覚えていてくれていて、よくまけてくれる。
けちな店だと、せいぜい消費税分程度のディスカウントで終わるのだが、そこは消費税分の値段で売ってくれる事がある。
このギターの価格はいくらなんだろうと聞いてみると、まだチェックしていなけど、それでよければ500円でいいよという。
悩んだ。果たして、これを500円で買ってしまっても良いものなのだろうか。
一応そのギターの入手ルートを聞いてみたら、引越しの際に不要になったものを引き取ったのだそうだ、倉庫で眠っていたというそのギターには、いや、ギターケースには若干のカビが付着していた。
あとでアンプを通してチェックしてみたけど、これといって不具合は見つからなかった。ただ、ケタ外れに重たい。部屋に置いてあるどのギターよりも重いんじゃないか。

私がリサイクルショップが好きなのは、その街の生活環境が把握できるという事があるからだ。
街を散策する上で、リサイクルショップの雰囲気は、ある種その街の雰囲気の縮図のようなものであるので、私はそうした縮図を頭の中に叩き込んで散策をする。
地域には、その風土特有の歴史や特徴があって、地域コミュニティーの中から様々な話題を得る事が出来る。
たまたま居合わせた別の客、たいてい主婦やリタイアしたおじさん、インテリゲンチャのおばちゃん達なんかは、なぜか私に話し掛けてくる事が多い。
最初は、なぜ私に声を掛けるのか不思議だったが、最近はどうでもよくなってきた。こちらから声を掛けなくても、向こうからいろんな話をしてくれるのが楽しくなってきている。

いろんな地域に出かけて、その土地の風俗を知るというのは、私のような人間には大変貴重な材料となる。
中には、戦前の町並みを事細かに説明してくれるおじいさんが居たりするのだけど、そういう人の情報はそう易々と得られるようなものではない。大変貴重だ。

リサイクルショップというのは、ある種の江戸庶民の精神を彷彿(ほうふつ)とさせるだけでなく、モノで満たされ退廃した都会特有の浅薄な気風の、微力ながらも消毒薬としての役割を担っている、そんな場所であり、思想であり、概念ではなかろうか。
景気が良いとか悪いとか、そんな事に囚われて行動するような習慣を捨ててしまうと、リサイクルショップも楽しいものになってくる。
何より、お金より心の得をする事があるんだから。