T.REX(ティーレックス) / MARC BOLAN(マーク・ボラン)のトリビュートサイト
Marc Bolan(本名Mark Feld)1947年9月30日生 1977年9月16日没。1970年代のグラムロックシーンを代表するアーティスト。 David Bowieらと共にグラムロック・ムーブメントを引き起こした。洗練された音楽・ファッション・詩からは、未だに新たなファンを生み出す神秘的な魅力(永遠のカリスマ)を感じさせる。

« 寺山修司という世界 ~劇団 羊のしっぽ~ | メイン | 江戸情緒がやってきた。烏山の寺町通。 »

2006年07月23日 | 投稿者 taku : 2006年07月23日 03:30

猫が暮らせる東京路地裏。

寺山修司という世界についての記事はこちらのページです。リンク修正をお願いします。
chat_et_chat.jpg
浜田山から阿佐ヶ谷まで100円のバス、「すぎまる」が開通して何年経過しただろうか。
開通前は商店街の反対に遇ったという。
反対の表向きの理由は、
「商店街には歩行者が多い。彼らにとって迷惑かつ危険だ」
という事のようだが、実際は、
バス開通により、地域住民が阿佐ヶ谷まで足を伸ばし、ただでさえ魅力の無い浜田山の商店街を余計過疎化する要因となる。
そんなところだろう。

さて、現実はどうかというと、南北に出来たバスルートは人の往来を活性化し、結果的に地域商店街への経済的利益を供与した。

戦前、浜田山周辺は麦畑であった。井の頭街道は今の半分程度の道幅。その南に位置する甲州街道は、今の井の頭街道よりも狭い旧街道である。
この旧街道が戦後進駐軍の軍事車両通行のために大規模な拡幅工事が行われ、東京湾に入港した船から下ろされた兵器が甲州街道を経由して府中、立川、福生などの基地へ運ばる。
拡幅工事は朝鮮動乱の折に一層激しさを増し、結果、現在のような主要幹線道路への進化を遂げていったのである。

戦後しばらくの間は地主が土地を手放さなかった(価格が上がるのを待っていた)こともあり、浜田山は田舎のままであったが、東京オリンピックの開催をきっかけに状況は急変する。
そこに、浜田山が何もない武蔵野の田舎から中途半端な町への変容というストーリーが内包されているわけだ。

そもそも、浜田山という田舎臭い地名には由来がある。その語源を示す説には紆余曲折がある事から、真実は意外と知られていない。
元来、武蔵野地域の住民の「言葉の訛り」のようなものとして、例えば松林だったり杉林なんかが平地にぽつねんと存在すると、それを松山だったり、杉山などと呼ぶような習慣があった。

井の頭線駅名の由来を解説する資料を見ると、浜田という百姓の土地が由来だという比較的簡素な説明がある。
上述の「~山」という林を示す「武蔵野の方言」と、郷土史における浜田山の変遷と重ねるとより詳細の由来が現れる。

「浜田」という百姓の持つ畑の中に、雑木林があった。武蔵野の住人はそれを「浜田」の持つ「雑木林」という意味から「浜田山」と呼んだ。
この話は戦前からこの土地に暮らす「80を超えたおじさん」から取材中に得た話である。
信憑性云々よりも、事実だけを繋ぎ合わせると解が得られた。数学的だ。

さて、そんな浜田山のどうでも良い語源の話題で盛り上がり、「すぎ丸」については終に(ついに)触れず、ここまで来てしまった。それどころか「路地裏の猫」まで迫害を受けている始末だ。
しかし、この「ふたつ」は私の中で比較的容易にリンクする内容なのだ。

前回、「寺山修司という世界」を観に行ったと書いた。土曜日にもう一度、今度は地元の友達を誘っていく事にした。
生憎の曇天で雨が降るかも知れないので、阿佐ヶ谷までバスで移動する事にした。そのバスが「すぎ丸」。
このバス、確かに住宅街ばかりを選んで通行するバスではあるが、いわゆるコミュニティーバスというわけあって、そのサイズもコンパクト。
ロケバスくらいな大きさを想像してもらえばおよそ見当がつくだろう。

五日市街道を横切り、杉並高校の脇から阿佐ヶ谷住宅を過ぎたあたりに、築年数に歴史的な重みを感じさせそうなアパート2階の屋外通路に目を遣る。そこに見つけた猫に私は「あっ猫」と小さい声で叫んでしまった。

なんだか矛盾しているようだが、「あっ」と言いかけた時に、そう、こういうときに限って普段の1万倍を超える劇的な脳の回転が生まれるのだけども、僅かの間にここは公共空間の中だという意識がエンベロープを下げる事に成功し、声が小さくなるに至った。

パリなんかのアパルトマンなんかもそうだけど、大抵中庭あたりに猫が居る。誰が飼っているというわけでもなく、なんとなく居る。
なんとなく居る、なんとなく生きている、なんとなく生きることが出来ている・・・。

四季を通して、寒い日や暑い日、雨の日風の日、いじわるな人間、ひどい人間、バカが運転する車、キチガイが運転するバイクなど、彼らにとっては危険がそこかしこに存在している。

にも関わらず、平穏な姿で寝ている猫を見ることが出来るのは、その地域がまだ人間によって完全に抹殺された空間ではない事を意味している。

灰色の建物をアマゾンの森林に例えてコンクリートジャングルと表現される。
そんな殺伐とした東京を示す言葉の語感に見合う雰囲気はこの地域には「まだ」到達していない。

四半世紀の間に、善福寺川の護岸工事は終焉を迎え、杉並の方々(ほうぼう)で見られた芋畑は宅地へ変容し、空き地の「土管」も地中に潜り、そして朝夕(ちょうせき)のラッシュの殺伐とした空気が時に他人の生命すら迫害するストレスになっても、猫は猫のままである。

言いたかったことはそれだけだ。