T.REX(ティーレックス) / MARC BOLAN(マーク・ボラン)のトリビュートサイト
Marc Bolan(本名Mark Feld)1947年9月30日生 1977年9月16日没。1970年代のグラムロックシーンを代表するアーティスト。 David Bowieらと共に
グラムロック・ムーブメントを引き起こした。洗練された音楽・ファッション・詩からは、未だに新たなファンを生み出す神秘的な魅力(永遠のカリスマ)を感じさせる。

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2006年08月30日

ヒグラシ

先日、一通り仕事を片付け、さあ自転車でどこかにふらっと出た先の住宅街で黒猫に出会う。
うちの子と比べるとひとまわり程小柄だが、黒猫然とした風格はまさにPomp and Circumstance。
眼前を泰然と横切り、幸運をもたらせてくれそうな予感を残してくれる。

雑木林の奥から聞こえる、独奏のバイオリン。
それは、透き通るようなヒグラシの声だった。
龍之介の「トロッコ」で、少年が坂道を半べそをかきながら下る時の光景を彷彿とさせると同時に、そろそろ帰ろうと岐路に着く。

自宅の数十メートル手前で、自転車の後輪から異音がする。リコーダーに溜まった水を勢い良く噴出す時のような音だ。

「もうそろそろだよ」と、前輪のタイヤとチューブを換えた際に自転車屋のおっちゃんが言っていた事を思い出す。
確かに後輪はそれが磨耗しているのか、元来そういう「文様」なのか、という判別も付かないくらい減っていたし、4,5年近くメンテナンスしなかった「せい」もあってある程度は諦めもついていた。
だから、運に任せようと事前に交換せずに、「次のパンクまでは我慢する」事にして大切に乗り続けていた。

運がとても良かったと思う。もし、これがいつもの如く歩けば半日以上掛かるような出先だったらどうなっていただろう。想像すらしたくない。

翌日、何軒かの自転車屋に「28インチのタイヤはあるか」と電話で聴いてみた。
散々「ない」と断られたので、この際だから多少乗り心地が悪くても新しい自転車を買うという決心した。
その日、用事のついでに近所の大型スーパーで自転車の品定めをした。新聞の折込チラシでその店では28インチの自転車が取り扱われていない事を知っていたので、恐らくタイヤもないだろうと決め込んでいたが、
念のため自転車のパーツ売り場に行くと、タイヤもチューブも揃っていた。
一晩考えることにし、用事を済ます。
久しぶりに近所をゆっくり歩いた。普段は見ない所も目に入る。猫はいませんか?と心の中で呟くと、とあるお宅の門から黒猫が姿を現した。
お互い目が合う。ちょっと恥ずかしい気がした。

朝6時半、いつものようにうちの「黒猫」が朝食が欲しいとせがんでくる。8時まではやらない事になっているので、とりあえず我慢してもらう。
一晩考えるといっても、別のことで頭がパンクしそうになっていたから、自転車の事は白紙状態のままだ。
15年も乗り続け、まるで自分の足のように自由に何処にでもいけるあの自転車を永遠に手放す事に違和感を得始める。

大型スーパーの自転車修理コーナーに自転車を持ち込むと、若い店員が「もうだめですね、新しいの買う方がいいですよ」とあっさり言ってくれた。
怒りよりも悲しさの方が先に込み上げて来た。
大量消費時代がこういう若者を作り上げてしまった。マガジンハウス世代がそうであったように、その子供達も同じような安易な道へ進むのだろうか。

「リムが曲がっている」と言う。慾く見ると、タイヤが嵌るフレーム部分のヘリが少し捲れていた。
ペンチでどうにか出来ないだろうかと提案するも、ステンレスだから無理なのだそうだ。人間は無力だ。

しかし、ここで新しい自転車、しかも量販店で売られている安物の自転車にしたところで、満足は得られるのだろうか。
見渡せば、一つも魅力的な自転車が見付からない。

結局、ダメでも構わないからという事で交換してもらう事に。半日の入院、無事戻ってきておくれと願いその場を後にした。

退院した自転車のペダルは重くなっていた。
気を利かせてくれたのか、その逆か。チェーンのピッチが固くなっている。
私しか知らない、私向けの調整方法でないとこの自転車のペダルは軽く踏み出せない。
早速、家の前で調整を済ませ、ついでに汚れも拭いてやると、交換したてのタイヤが鮮やかに光っているように見えてきた。凛としている。

タイヤを慣らすために、井之頭線の富士見が丘車両基地裏の神田川の沿いをサイクリング。車で言うところの試走というやつだ。

ここは、鞍馬の山奥のように鬱蒼とした雑木林で、春はソメイヨシノがとても綺麗に咲く知る人ぞ知るサクラの名所エリア。
数年前から、ホタルが放流されるようになった。この施策は地域の商店街やNPOが主体となっており、「久我山のホタル祭り」と言う様な冠で、初夏の風物詩となりつつある。
ただ、一つだけ残念な事がある。折角放流されたホタルも、水質が余り良くないのと、植生がそもそもホタルが繁殖するのに適さない事から短い命でしかないのだけれど、それでも、ふわっと川面に浮かぶ優しい光は幻想的。疲弊した心を一度に解き放つ力を持っている。

先日とある交響楽団の指揮者のパーティーに呼ばれた際、その指揮者の方から似たような話を伺った。
その方曰く、徹夜明けの早朝、ふと庭に出ると、長い間地中に潜っていた蝉が今まさに脱皮しようとしているのを見つけ、それを見守っていたのだそうだ。
ようやく羽が伸び、さあこれから大空に向けて飛び立とうとする時に、外飼いしている猫が「パクッ」とやってしまったそうだ。
まあ、なんてことを!と顔を多い、「エサなら幾らでもあげるのに」とその猫に諭してみたが、自然界の無常にはどうしようもない事を彼自身が悟ったようだった。

短命なホタルが生きる限り光を放射するあの川沿いも、今はヒグラシの声で心をほぐしてくれる。
私は、ふと立ち止まって耳を澄ますと、ヒグラシが何かを語っているみたいだ。私はしばらくそこから離れる事が出来なかった。

投稿者 taku : 22:51 | コメント (2)

2006年08月29日

花舞うタカマドノテラ:第50回 高円寺阿波踊り

高円寺の阿波踊り

高円寺といえば、ねじめ正一の高円寺純情商店街でも知られ、また近年ではお笑いブームの下支えの街というイメージも定着しつつあります。

余談ですが、そのねじめ正一氏は高円寺ではなく、その隣の阿佐ヶ谷のお店によく「店番」として立ったり座ったりしています。(居ない時の方が多いかな) その高円寺は、もともと下宿が多かった事もあり、地方から上京した学生や専門学校の生徒などが、一番最初に「何か」に憧れて暮らすスタート地点、そんな街と言って良いかも知れません。
一体何に憧れるのかは判らないけれど、きっと何かがあるんでしょう。

地方出身者が集う一方で、地下茎を張り巡らした土着の住民も多く、中央線沿線の中でも最も下町っぽさが色濃い街です。
その下町っぷりは、例えばキャバクラやフィリピンパブのような夜のお店や、杉並区内では珍しいラブホテルがあったり。戦後闇市が名残なのか、やくざな商売が成立してしまっている不条理がこの街では必然となっています。

それと、これは理由はわからないけれども沖縄出身の方も多く住まわれていて、沖縄料理で有名な「抱瓶」だけでなく、他にもいくつかオキナワテイストなお店が数多く存在しています。
とにかく、変わった街です。

さて、高円寺の阿波踊りは、戦後復興著しい昭和30年代、周辺住民や商店街が、街の発展を望んで始まったのが由来とされています。
今や徳島の阿波踊りに負けず劣らず、年々その規模が拡大し、多くの観客を動員する一大イベントへと成長しました。
主催者側の発表によると、集まるオーディエンスが135万人規模にまで拡大しているとの事。
本場徳島の新聞でも高円寺の阿波踊りが「東京随一の夏祭り」と称される程です。
経済効果も相当なものでしょうね。 その高円寺阿波踊り、高校生の頃から見るともなしに何度か見てきていますが、今年は運良くゆっくり気分良く見ることが出来ました。
例年だと、この時期は真夏日が続き、経っているだけでも相当辛い上に阿波踊りを見にきた大勢の観客の熱気も加わり、ただただ疲れるだけだったのです。
それが、今年は9月中旬頃の気温に、時折パラつく涼しげな雨のおかげで、ちょっとした避暑地で見ているようなリラックスムードでした。
とはいえ、オーディエンスの多さには驚きましたが・・・。

やっぱり日本は最高

「和」の心を艶やかに且つ純粋に見せてくれたのが「連」と呼ばれるチーム事に特色を持った華やかな衣装です。
男女どちも和装で決め込み、時にやさしく、時に勢い良く踊る姿は見ていて清清しいものでした。
踊りや衣装だけでなく、女性の艶のある掛け声と、鼓笛隊の織り成すリズムはロック魂を感じさせてくれます。
「連」によっては、ハードロックな雰囲気さえ感じられるリズムがあったりと、まさにカルナバレスクです。

今年は土日の二日間、夕方6時から夜9時までの開催ということで、土曜日にケーブルテレビの生中継を見ながら事前勉強が出来たのは何よりでした。

ところで、今回は始まる1時間半くらい前に待ち合わせして、カフェでお茶してからみようということになったのだけど、その「カフェ」の場所がどこにあるかで「賭け」に発展。
私は地元の利で勝たせていただきまして、アールグレイをご馳走になりました。ありがとう。

投稿者 taku : 01:53

2006年08月25日

CSS スタイルシートメモ 「画像がはみ出る」件について。

近い将来、また「忘れた」と慌てる私に捧ぐ

サンプル スタイルシートを作っていると、なぜか画像がボーダーを超えるということがあります。
理由は単純で、WIDTH指定を怠っているから、という理由です。

具体的に、画像のボーダー超え(画像がはみ出る)とはどういう事かを説明すると、
右側の画像を見てください。
上がはみ出ている状態。
下が収まっている状態。

これを解決するのに、ああでもない、こうでもないと試行錯誤していた時期があり、
しかもその時は、やたらと長い馬鹿みたいなCSSになってしまっていました。

枠の部分のラベルを"lm_cnt"とすると、下記のようなCSSで解決出来ます。
(IE/Gecko共通)

#lm_cnt{
 display:block;
 width:158px;
 vertical-align:top;
 border:1px solid #FFFFFF;
 padding:0px;
 text-align:left;
 font-size:0.8em;
 color:#222222;
 background-repeat: no-repeat;
 background-position: 0% 0% ;
}

#lm_cnt a {
 display:block;
 width:154px;
 margin-right:1px;
 border:1px solid #FFFFFF;
 clear:both;
}

#lm_cnt a:hover {
 border:1px solid #B9FAFE;
 margin-right:1px;
 background-color:#FAFFFF;
}
ここでのポイントは、width指定をするか否かです。
全体の割合を示す%でも構わないので、これをコンテナ部分と、リンクを設置する場合はリンク部分にあたる(ここでは、"lm_cnt a" )に当ててみてください。


上のサンプルで使っている色や幅などの指定部分は、その都度変更します。
これで、画像がはみ出るという情けない事態は避けられるでしょう。
それでは、実際にどのように使われているかを、このサイト上にあるページのリンクを貼り付けて終わります。
http://www.trextacy.com/joka/index.html
(画像、はみ出ていないでしょ?)

ていうか、いい加減覚えろよ>自分@物覚えが悪い

投稿者 taku : 00:50

2006年08月22日

NEWS from the other days.

Movable Type 3.31-jaにアップグレード完了

トラックバック・スパムや、コメント・スパムが非常に多かったため、もとよりコメントを書いてくれる人が皆無に近いブログがさらに弱体化させるような状況が続きました。
(わざとエラーを吐き出させて、コメントを受け付けつけない設定にしていた)

それまではMT3.1を起用していましたが、この夏にアップデートされたMTの便利さがなかなかだという話でしたので、重い腰を上げて取り組んでみました。
(お盆はこれに時間が費やされてしまったらしい・・・)

ただ、一応念のためにコメントは即時公開にはなっていません。これも調整が整い次第解決しようと思っています。
(別件でMT導入を検討しているジョブがあるんで、そのための人柱として自分のサイトを使ってます・・・)

甲子園の決勝戦2戦目

早稲田実業と北海道の駒大苫小牧、どっちも優勝して欲しかったなぁ。
日曜日の決勝戦は長時間試合になりましたね。途中用事が入ったので全部は見れなかったけど、延長戦に入っての13回からはテレビで観ることが出来ました。
延長戦でも決着に至らず、決勝戦再試合。これは1969年以来だそうです。まさに、Summer Of '69ですね。(「']をはずすととんでもないことになる・・・って言って欲しいんでしょ?)

そして迎えた月曜日の決勝戦2回目。
どこぞの亀公の詐欺試合・詐欺判定という堕落しきったスポーツ界の一端を垣間見たばかりの私には、無償の努力で多くの人に感動を与える甲子園でのドラマに感動してしまいました。
最終回の両エースの対決、なんてドラマチックなんでしょうか。仕事なんてやってられないじゃないか。

スポーツの世界を通して、久しぶりにみたとても素晴らしい試合でした。ありがとう、俺。

ヒズボラが138万円を支援

パレスチナで、イスラエルによって破壊された家屋に対して、ヒズボラが138万円を支援し始めたそうです。
豊富な資金源が可能にしているとのこと。

アメリカ連盟(イギリスや日本、その他侵略主義国家を意味する)は、こぞってアラブ諸国をテロリストの根源という位置付けをしちゃってますが、そもそもイスラエルの建国自体不合理だし、国家に属さない人々を排他的に扱う事に違和感を感じます。

テロ自体は悲惨な事態を招き、決して良いことではありません。しかし、テロという破壊的手段ではなく、政治システムによって飢えと貧困を生み出す資本主義もどうかと思う。
まあ、その辺の話はいくら考えても苦沙彌先生と同様に面倒になって結論が出ずに終わってしまうものだから、これ以上は何も書けません。

しかし、パレスチナで各国が支援合戦になりそうだという話も滑稽だ。
だったら、最初から破壊なんかしないで済みそうなのに。
イラクの問題もそう。歴史的にも文化・芸術的にも貴重な建造物の多くが破壊されてしまっています。

しかし、なぜ戦争するのだろう。トロピカルフルーツでも食べながらのんびりハンモックでぶらぶらしている方が楽なのにねぇ。

靖国問題と政治は別にした方がいいんでは?

靖国参拝なんてどうでもいいんちゃうの?
中国や韓国が文句言ってくるのは、もう、そこくらいしか外交カードが残ってないからでしょ。
竹島問題とか、東シナ海の海底資源だって、結局中国にカードを握られちゃっているし。日本政府ダサすぎ。
そんなことより、近いうちに石油が枯渇しちゃう事を国民に教えてあげりゃいいんじゃないのか。
まあ、石油がなくなれば、エンジンかけっぱなしのクーラーで昼寝している外営業のサラリーマンも居なくなるから、むしろウェルカムだなぁ。
彼らの気持ちもわからないでもない、ことはない。つまりわからない。こいつらのせいでネコが車に轢かれる事が多いんだよ。人はどうでもいいけど、猫が人間に直接的でも間接的でも殺される事に耐えられない。

猫の気持ち?

という雑誌がある。
「猫にやさしくなれれば、人にもやさしくなれる」というコンセプトらしい。
私は、猫にやさしい人にはやさしくなれるけど、猫にやさしくない人にはやさしくなれません。
私にやさしくされたいから猫にやさしくなった女子達に言います。ありがとう。

投稿者 taku : 08:55

2006年08月15日

PRAJÑÂ PÂRAMITÂ HRIDAYA SÛTRA

PRAJÑÂ PÂRAMITÂ HRIDAYA SÛTRA

井の頭線1000系車両 お盆だから、というわけでもないけれど、日本語以外での般若心経の発音を聞いた見たくて調べてみたけどなかなか見つからず。 きっと探し方が下手なんだと思う。 そもそも、サンスクリット語を知らないしなぁ。 ところで、その般若心経、元々インドの偉いお坊さんの教え(とされる)を、中国の玄奘(西遊記の著者、サンスクリット語から中国語への翻訳家としても著名)が伝えたものです。

厳密な部分の解釈・説明は専門家にお任せするとして、お経の中でも最も有名なものは、元がインドにあったんだろう、ということは知っておくといいでしょう。

(別に何の役にも立たないけどさ)

まあ、あれやこれやとWEBサーフィンしているうちに、マレーシアの歌手で般若心経を楽曲に乗せて歌っている、というのを発見。
ようやく、日本語以外での般若心経に出会えたわけだが、歌になってしまっているから、余り参考にならなかった。

他に、日本語・英語に翻訳された般若心経なども見つかった。
改めて別の言語訳で読んでみるというのも面白い。解釈の違いに興味が出てくる。

(下記にまとめてリンクをつけておくので、興味のある方は是非!)

上毛電気鉄道に見る井の頭線3000系

inokashira_02.jpg話は変わって、旬の話題。 上毛電気鉄道というのをご存知だろうか。 風鈴列車と呼ばれる季節モノの電車がこの時期、群馬県の前橋から渡良瀬川を渡り桐生市までの25.4kmを走る2両編成のワンマン列車。 山手線1周より5km程長い距離を50分余りで走るローカル線。 車内にずらっと並ぶ風鈴は目にも耳にも涼しげなのだろう。揺れるたびに、こっちでチリン、あっちでチリン。寝心地が良さそうだ。

その「上毛電気鉄道」の2両編成の車両だけれど、私の地元で、馴染みも深い井の頭線の車両が譲られたもの。

上毛電気鉄道700系は、元は井の頭線で走っていた(今でもリニューアルされて現役活躍中)3000系がベース。
一昔前の3000系の外観そのままなのが妙に懐かしくもあり、嬉しく感じる。

上毛電気鉄道以外にも、井の頭線は日本各地で活躍しているようだ。ついでに調べてみると、北陸鉄道8800系として片扉(地元では片開きと呼んでいた)が活躍しているし、
松本電気鉄道や静岡の岳南鉄道でも同じく3000系をベースにした車両が活躍している。

恐らく、こういう話は鉄道マニア向けなのかもしれない(マニアは当然知っている話だろう)けれど、しかし、古くなったからといって容易に廃棄したり壊したりする事が平然と行われている昨今、
「まだ使えるでしょ?」という疑問を率直に受け止め、こうして別の場所で改造してまで活躍の場所を移している、その事に焦点を当ててやって欲しい。

投稿者 taku : 17:22

2006年08月14日

夏の夜と怪談話:ホテル カリフォルニア

EAGLESのHotel Californiaといえば、夏の夜というイメージと同時に、怪談話や心霊話も同時に思い起こさせる。



今日は、涼しい風が窓から入ってくる。久しぶりにクーラーなしの部屋で過ごせそうだ。

クーラーは嫌いだ。出来る事なら使いたくない。人工的な冷気は嫌だ。体調も崩す。

ただ、どうしても冷房で部屋の温度を下げなくては、PCが熱暴走したり、ハードディスクがクラッシュしたり、電源が燃えたりと、困ったことになる。



何度もHDDのクラッシュを経験している事から、極力回避しようと努力するようにしている。それが部屋の中をクーラーで冷やすとか、

PCのケースの片側を空けて、直接扇風機で筐体の温度を下げるとか。

そうでもしないと、大切な業務データが無くなってしまっては、大損害。

去年など、それで本当に損害が出てしまって、寝込んでしまうほどだった。(やる気が無くなって寝てごまかしたという噂も?)



ところで、ちょっと怪談話みたいなやつをしておこう。





昔の話。

都落ちした薩摩守忠度が藤原俊成の屋敷に戻ってきた時の事。


門戸を閉ぢて開かず。「忠度」と名のり給へば、「落人帰り来たり」とて、その内騒ぎ合へり。

ざわつく部下達に、彼なら問題ないから入ってもらってくれ。と、俊成。

源氏の追っ手にいつ捉えられてもおかしくないような状況にも関わらず、危険を冒してまて「歌」の師匠である俊成への面会を果たせた忠度は、

「この2,3年の間、京都では不穏な政治情勢が続き、さらには国家そのものが崩壊してしまい、もはやこれまでという状況であるのは周知の事実でしょう。しかしながら・・・」

撰集のあるべき由承り候ひしかば、生涯の面目に、一首なりとも御恩を蒙(かうぶ)らうど存じて候ひしに、やがて世の乱れ出できて、その沙汰なく候ふ条、ただ一身の嘆きと存じ候ふ。
世静まり候ひなば、勅撰の御沙汰候はんずらん。

「名無しさん」でも結構ですから、今までデータをコツコツと保存しまくったこのハードディスクをマウントしてくれれば嬉しいので、とりあえず保管してもらえないでしょうか?




鎧(よろひ)の引き合はせより取り出でて、俊成卿に奉る。


俊成は「この騒乱の中、あなたは自身の分身でもあるこのハードディスクを持ってきてくれるなんて、絶対大切にしておくから、とにかく体は大切に。お元気で!」と涙を流しながら、忠度が去っていく姿を見送る。



後に、俊成は自分が立てたスレにこんなカキコをした。


66 :名無しさん :1187/09/20(火) 12:00:00 ID:fJwrShUn0

    さざ波や 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな

さて、忠度の運命はというと、卑怯なDQNに不意打ちでやられてしまう。この時ばかりは敵も味方も一緒になって俊成の死を悲しんだという。

「あんな良スレがDAT落ちだなんて・・・」



ところで、一番上の写真に何かが映っているの、気付きましたか?

拡大すると、こんな感じ↓↓↓↓↓


レベッカフレンズに「せんぱいっ☆ミ」っていう声が入って居たのも有名な話だけどね。


"Hotel California"



On a dark desert highway, cool wind in my hair

Warm smell of colitas, rising up through the air

Up ahead in the distance, I saw shimmering light

My head grew heavy and my sight grew dim

I had to stop for the night

There she stood in the doorway;

I heard the mission bell

And I was thinking to myself,

'This could be Heaven or this could be Hell'

Then she lit up a candle and she showed me the way

There were voices down the corridor,

I thought I heard them say...



Welcome to the Hotel California

Such a lovely place (Such a lovely place)

Such a lovely face

Plenty of room at the Hotel California

Any time of year (Any time of year)

You can find it here



Her mind is Tiffany-twisted, she got the Mercedes Benz

She got a lot of pretty, pretty boys she calls friends

How they dance in the courtyard, sweet summer sweat.

Some dance to remember, some dance to forget



So I called up the Captain,

'Please bring me my wine'

He said, 'We haven't had that spirit here since nineteen sixty nine'

And still those voices are calling from far away,

Wake you up in the middle of the night

Just to hear them say...

Welcome to the Hotel California

Such a lovely place (Such a lovely place)

Such a lovely face

They livin' it up at the Hotel California

What a nice surprise (what a nice suprise)

Bring your alibis



Mirrors on the ceiling,

The pink champagne on ice

And she said 'We are all just prisoners here, of our own device'

And in the master's chambers,

They gathered for the feast

They stab it with their steely knives,

But they just can't kill the beast



Last thing I remember, I was

Running for the door

I had to find the passage back

To the place I was before

'Relax,' said the night man,

'We are programmed to receive.

You can check-out any time you like,

But you can never leave!'





荒涼とした砂漠を突っ切る高速道路、冷たい風が髪を撫でていく。

マリファナの咽るような匂いが車内の熱気を再び蒸し返すそんな夜・・・。



夜空に輝く星のような瞬く光が、向こうからこちらにやってくるのが見えた。

朦朧として、そして視界が消えかかってきた俺は、一夜を明かすために「そこ」へ車を停めた。





戸口に立つ女性の姿と、教会の鐘の音・・・

ここは天国か、さもなければ地獄か。俺は心の中でつぶやく。





彼女はロウソクを灯して奥へと俺を案内した。

廊下の下から聞こえてくる人々のざわめき。

その中から俺はこんな言葉を耳したようだ。

「おいでやす、カリフォルニアホテルへ」



めっちゃええ場所やん。

おまけになんや変な顔ばかりおまへん?

ようけ部屋があまんなぁ。あんさん、これいつでも来はったらみれますさかいに。



彼女の首にぶら下がるティファニーのネックレス。

彼女の自慢のメルセデス・ベンツ。

そして、彼女はめっちゃ男前の兄ちゃんを引きつれよる、せやけどただの友達なんやて。殺生な。

兄ちゃんらはどないしたら彼女と中庭で踊って、踊りつかれて、部屋に連れ込んだろか悩んではんねん。

ええ思いしたいし、けどええ事ばかりでようけ忘れよる。



ほいでわしな、支配人を呼んでん。ワインくれへんかって。

そしたら、支配人のおっちゃんな、おかしな事いうてくれはりますねん。

「うちにはワインみたいな酒やら魂やら、1969年以来置いてへんのですわ、えらいすいまへんな」

魂?なんやそれ。こいつ酔うてんのとちゃうやろか。下の階でパーティーやってる連中、えらい酔うてやしまへん?

まあ、しゃあない、寝ますわ、けど寝れへん。夜中に目ぇ覚めようよ。

なんでって、またな、聴こえて来るねん

「おいでやす、カリフォルニアホテルへ」って。



おもろいやろ。こんなん真夜中に聴こえてんねん。寝れんちゅうに。

ほんま、どえらいとこ来てしもた。

あいつら、みんなここに住んではんのとちゃうやろか。そや、住んでんねん。決まりや、住んではるんやで。

あんな、天井鏡にダイアモンドが浮かんだドンペリのピンクが映ってま。

なんやろと思てたその時、あのどスケベ女が、

「あんな、うちな、うちとここの人らな、ある意味囚人なん。ここのホテルの備品みたいなものなんやわぁ」



・・・。



大広間で、めっちゃ豪勢なご馳走を並べて、フォークやらナイフやらで突付いてねん。

けどな、あれ、絶対ご馳走ちゃうで、あれ、人やで人。人食うてんねん。間違いない。



なんや、これ、注文の無い料理店やんか。あれ、最後どうなったか覚えてまっか?

わし、ものすごう恐なってホテルを出ようとした、までは覚えてんねんけど、

慌てて受け付けでチェックアウトしようとしたらな、受付の兄さんが、

「お客さん、大丈夫やて、落ち着きなはれ。誰でもこのホテルは大歓迎してますし、24時間チェックインできる事が売りなんですわ。」

「けどもや、よう聞いておくれやっしゃ。」

「出れへんのですわ」



そういうこっちゃ。

一度入ったら、もう帰れへんっちゅうこっちゃ。そうか、わし死んだんか。せやけど、わし、いつ死んだん?



投稿者 taku : 01:18

2006年08月08日

GUEEN


波多江さん率いるトリビュート・バンドGUEENではなく、こちらはグッチ祐三率いるGUEENです。
どちらもすき。
作りこみ方が尋常でなく、ボヘミアン・ラプソディのPVをご存知の方はその凄さに圧倒されること間違いないでしょう。
ギターもブライアンっぽいし(笑)

同じくハッチ・ポッチステーションで、KISSのパロディKISSAというのもありました。
KISSAですよ。KISSAのおなかの減る歌。
幼児番組を騙る大人向け番組、今後もゾクゾクさせてください>NEDのみなさん。

追記:Youtubeの動画が「もはや見れない」状態になってました。ユーザーによる削除だそうです。残念!

投稿者 taku : 12:59 | コメント (3)

The Guess Whoって誰?

"no time", "these eyes"などの名曲を残し、レニクラことLenny Kravitzのカヴァーで知られる"American Woman"、ワールドクラスの名曲"No Sugar Tonight/New Mother Nature"で活動拠点のカナダのみならず、全世界を一蹴した伝説のバンドが、the guess who
モッズ最高峰のイギリスのバンドThw Whoとライブ・フェスティバルで互いの曲を交換して演奏したりと、The Whoもそうなんたけど、心がオトナのバンドです。

FEN(現:AFN)でNo Sugar~が流れて来た時、ブリティッシュ・ロックに影響を受けたアメリカン・バンドだと思ったのだけど、実はカナダ出身のグループということが後に判明。
カナダは王室カナダ騎馬警察というのがあったり、その歴史的な伝統としてイングランドの女王が君主とされていたりと、イギリスの文化の影響が全く無いとは言えないので当たらずとも遠からず?

このThe Gues Whoというバンドはメンバーの入れ替えが激しかったり、時代によって音楽性が大きく異なるなど、その音楽性の変容はEAGLESを匂わせます。
楽曲は、これは私の感想ですが典型的な'70s British Rockという雰囲気がメイン。
Led Zeppelinを思わせるブルージーな楽曲Humpty's Bluesなんて、夏の夜にピッタリ。
お互い別れたばかりの男女が、アメリカン・スタイルのバーで出会い、男が女を口説く時にこんな曲が流れていると一夜干しの恋が出来上がる気がします。

この時代のバンドは演奏が上手なので、スタジオ録音でもライブと同様の雰囲気が出ていて、また、そういった演奏の良さが純粋な音楽だと思わせてくれるので、聴いていて飽きません。

ザ・ゲス・フーについては日本では余り知られていません。
知っている人は知っているけども、絶対数で考えるとほんの僅かです。T.Rexよりも知られてしません。

日本では完全にマイナー扱いですが、American WomanがBillboardで3週間連続1位を獲得したSTATESでは今でもラジオで流れる程のヒット曲になりました。
余り知られていないとはいえ、大学時代にお世話になった江古田のレコード屋「てんとう虫」の店主は知っていました。(今もあるのかな?)
その店に何枚かあったゲス・フーのレコードは買えずじまい。
その時店に並んでいたレコードは買いたくてもレストラン・パブの厨房のバイトではまかない切れない「高価」な商品でした。
そのうち、機会が出来たら行こうと思ってはいたけど、まだ行ってません。自転車で1時間の距離は、ほんの少しの気合が必要です。

ところで、このバンドのメンバー構成について簡単に記しておきます。

まず、このバンドはカナダのウィニペグで結成されました。結成時のバンド名はChad Allan and the Reflections。1960年の事です。
1961年から1962年にかけてバンド名をReflectionsと改名しますが、それも束の間、北米のツアー中に当時デトロイトで有名になりつつあった同名のバンド"Reflections"が存在し、混乱を避ける意味で今度はChad Allan and the Expressionsと改名。 平和主義者って感じがします。

設立当初のバンドメンバー
Chao Allan
Bob Ashley
Randy Bachman
Jim Kale
Garry Peterson
その後、Shaken All Overがカナダのラジオ局で流され徐々に人気が出てきますが、売り出す際に敢えて「だれでしょう?」という覆面バンドとして紹介、GUESS WHOが誕生します。
そして、バンド名も正式にThe Guess Whoとなり、人気ロックバンドの仲間入りを果たしました。
イギリスのThe Whoに対抗しているわけでもないし、実際仲が良かったそうです。

有名にはなったものの、設立メンバーの一人であるAllanとAshleyが地元での活動を望んだため、彼はバンドを離れ以下のような顔ぶれになります。

第2期(A)
Randy Bachman
Jim Kale
Garry Peterson
Burton Cummings(当時17歳)
Bruce Decker
Bruce Deckerがリズムギター担当としてほんの少しの間バンドに在籍しますが、すぐに脱退。1966年の夏には以下の4人となります。
第2期(B)
Randy Bachman
Jim Kale
Garry Peterson
Burton Cummings
1969年、カナダでリリースした"these eyes"がヒットし、RCAがアメリカでシングルとしてリリース。billboardのチャートで6位に着地。
彼らの人気は急加速し、American Womanが空前のヒット。続くNosugar...もヒットしますが、設立メンバーの一人Randy Bachmanがバンドを離れ、Bachman-Turner Overdrive、通称BTOを結成します。
BTOはthe guess whoよりも日本では有名かもしれません。バンドメンバー興味深いのは、設立時にKeith Emersonを向かい入れる予定でしたが、彼の病気のために実現には至りませんでした。
第3期
Burton Cummings
Jim Kale
Greg Leskiw
Garry Peterson
Kurt Winter
1970年代も中頃になると、バンドメンバーの交代も激しくなり、そこそこの人気を継続してはいたものの、チャートへの登場の加工気味になったようです。
途中をかなり省略しますが、大体以上までが黄金期といって差し支えないかもしれません。とはいえ、バンド設立当初のメンバーであるJim KaleとGarry Petersonは現在でもバンドを継続させています。
現在(2006年)
Carl Dixon
Jim Kale
Laurie MacKenzie
Garry Peterson
Leonard Shaw
BTOを設立したBachmanと初期のメンバーBurtonによって世界的に有名となるバンドになったような次第で、黄金期のThe Guess Whoのファンは恐らくBTOへ流れていったような気がしないでもありません。
ともあれ、the guess whoが音楽界に残した功績は余り知られていないようでいて、実は衝撃的でかつ大きいものであったのは間違いありません。
特に、初期~黄金期の楽曲の完成度は非常に高く、良い意味でブリティッシュ・ロックのエッセンスとアメリカナイズされたテイストがマッチングしていて、また、それが彼らのユニークな点なのです。


参考資料
THE GUESS WHO, THE ULTIMATE COLLECTION (ライナー)
Wikipedia(The Guess Whoのエイリアス):http://en.wikipedia.org/wiki/The_Guess_Who

投稿者 taku : 02:03

2006年08月06日

京都はBOSSA NOVAが似合うかな

月末から2泊3日で京都に。

当初の日帰り予定は、法事終え京都の家に帰る途中に見た京都の町並みがそれを許してくれませんでした。

※その前日大胆に散髪したので、後ろ髪なんぞありませんが。




東京には気になる仕事や用事などがあったけど、それよりに約1年ぶりの京都の魅力は強烈でした。

もし京都にxDSLが引いてあれば、事情は変わるでしょう。夏は全て京都で過ごしていたかも。

あとは、自転車があればもっと快適な京都ライフを過ごせます。

お盆以外の京都は余り経験がありません。小学校4年の時、祇園さんの頃から京都に一人で行ったのが最後かな。

高校生の従兄弟も言っていた「京都の女性は皆美人」

そんな思い出を頭に浮かべながら、法事の後えて夕方から市内を従兄弟達を連れて散歩。
気付いた事といえば、美人が多い事、そしてみなファッションセンスが素敵な事。
着飾っているというわけではないけど、つまりパリの地元の人のような感覚。関東のそれとはまた別のスタイルがそこに。
京都府京都市左京区浄土寺真如町

誤解を恐れず敢えて言いますが(誤解のされようもないけど)、京都の女性は本当に美人だらけ。
これは従兄弟のブログでも同じ事が書かれているくらい。(紹介しようと思ったけど本人の了承がないので止めておこう)
京都生まれの関東育ちにとっては、関西のエッセンスに惹かれるのでしょうか。もしくはDNAがそうさせているのか。

まあ、それはおいといて、まずは一旦四条かその辺まで地下鉄で出て夜の京都をうろつきます。

もうどこをどう歩いたかは余り覚えていないけど、最終的には三条大橋に抜けて、そこから歩いて蹴上かその辺まで行きました。

強烈な印象を持ったのは、四条通りのルイ・ビトン。歴史の街京都に、スパークする電飾。

ブランドショップと伝統的な店が混在するところは、古きを知り新しきを得る京都人の心意気がそうさせているのか。





京都市下京区四条通高倉西入立売西町79番地

三条大橋はデートに最適?

途中、安上がりな感じの海鮮丼を夕食として済ませ、いくつかのお店をのぞいた後三条大橋へ。
そこでは、勝手に花火大会をしている集団がいくつかあります。学生だか若い社会人の集まりなんだか判らないけど、楽しそうです。
「ヒュー」とか、「わー」とかいう歓声がにわかに響きます。
こじんまりとした打ち上げ花火でも、夜景に映る花火は周りをほんのひと時明るくしてくれるのだなぁ。
まるで、元気のおばんざいです。

橋の上には海外からの観光客が、「にわか花火大会」をほろ酔い気分で眺めていて、心地よさそうにしていました。

素敵な思い出になるといいね。






京都府京都市中京区三条通

ぼんやりと橋上からそんなこんなの光景を眺めていると、やおら川上から川面を優しく撫でるような涼しい風が、橋の上をさらっと駆け抜けます。

天然のクーラーを浴びながら飲むビールは美味しそう。だけど僕はお酒が飲めません。

この酒が飲めないということで、今までどれだけ損をしたかというと、それは相当のものだけど、だからといって飲めないものと無理に飲むのは自分のポリシーに反するので、この飲めないし飲まないは一生貫き通します。決めました。

あちこち、結構歩きました。

朝は6時過ぎに起きて体力を使った一日だったけど、久しぶりの市内観光が心を癒してくれたのか、京美人だらけで良い目の保養になったからなのかはわからないけど、思っていたよりも疲れは溜まりませんでした。

本当はそのまま夜の新幹線で東京に戻るつもりだったけど、急きょ電話やらメールで各所に連絡・調整して帰るのを遅らす事に。

家に戻って色々片付けなんかをしてから夜中の2時にようやく就寝。

明け方にかけて、意外にも涼しくむしろ開け放した窓からは涼しすぎる風が入ってきて毛布に包まっていたほどでした。

つまり、寒かったというわけ。


京都御所の蝉は、ゲネプロの真っ最中だった


眠い目をこすりながら2日目がスタート。

この日は6月に他界した祖父の思い出の地を巡る小旅行を親戚達と一緒に巡りました。

まず最初に向かったのは京都御所・寺町。祖父の生家は数年前まで残っていたけど、今はちょっとした商店街みたいになっていました。面影はちっともありません。

ただ、それでも祖父が幼少の頃遊んだ御所の風景は昔とちっとも変わっていないように思えます。






京都府京都市上京区染殿町


夏の間は馬も夏休み


寺町から上京区役所での用事を済ませた後は、岩倉の京都乗馬クラブへ。

僕は小学校に上がった頃に落馬して、数年間はそれがtraumaに。馬だけでなく乗馬クラブという言葉ですら恐くて仕方なかった。

そんなある日、「かなめちゃん」という同い年の乗馬クラブの娘がポニーなら乗れるやろ?って。

その言葉や、乗馬クラブの人たちの恐らくは親切な気持ちは、traumaを持っている僕にはサディスティックな言葉にしか聴こえませんでした。

高学年になってようやく少し乗れるようになりましたが、結局祖父は高齢のために2頭の馬たちとは別れることに。

彼らは牧場へ行き、そこで終生を過ごしたと後に聞き及びます。

馬と別れる時の祖父はどれだけ寂しかっただろうか・・・。






京都府京都市左京区岩倉幡枝町


八瀬から比叡山まで歩いて行ける?

次の目的地は八瀬。岩倉から山を車で登ると程なく到着。京都市内はきっと自転車があれば、たっぷり一日を使って一周出来そう。
以前来た折は、出町柳から叡山電車というのに乗りましたが、今回は車。
車窓からの風景も愉しみたいところだったけど、これはまた今度。また来た時の楽しみが沢山あるほうがいいです。
八瀬は、小学生や中学生がプール代わりに泳いでいます。釣りも出来るようで、若いアマゴ(ヤマメ)らしきものを見ました。
秋に、もしかすると再度京都に行くかもしれませんので、その時には釣り竿を持って出かけようかな。

京都府京都市左京区八瀬野瀬町

八瀬からそのまま北西に進むと貴船口へ。

今、貴船は川床にスポットライトが当てられ、暑い夏の、絶好の避暑&デートサイトになっていますが、ただ、いかんせんコストパフォーマンスが・・・。

貧乏な僕には貴船の川床よりも、三条大橋の橋げたで自宅から持ってきたアールグレイが自分サイズ、ISIZE。リクルートのイサイズは「自分サイズ」というところから来たものでした。いつしかなくなってしまいましたね。

思い出の鞍馬。うちのネコは鞍馬天狗。

貴船神社をそおっと見た後、今度は鞍馬へ。
中学生の頃、父親に連れられて初めて行った鞍馬。鞍馬天狗の鞍馬。うちのネコは鞍馬天狗。
その鞍馬は「木の芽煮」というのがとても有名で、これを中学生の僕が祖父にお土産に買って行ったら大層喜んでくれました。
余ほど美味しかったのでしょうか、ちょっとボケてしまった晩年の祖父は、鞍馬の木の芽煮が食べたいと無理な注文をしてくる事がありました。
他界する数週間前、母が祖父にその木の芽煮を東京の大丸まで買いに行き、病床の父に食べさせたところ、「おいしいなぁ」と言ったそうです。
祖父はその時色んな思い出を木の芽煮に見たようです。その少し後、食べ物を受け付けなくなり・・・。

その祖父へのお土産に買った木の芽煮ですが、当時のお店が今でも変わらず残っていました。自分たち用にお土産に(笑)






京都府京都市左京区鞍馬本町



祖父の思い出を巡るツアーは、夕暮れになって河原町へ。

河原町のジュリーの話は以前ブログでも書きましたが、その河原町とても盛況でした。観光客もそこそこ多かったけど、地元の人の方が多かったなぁ。

主なサイトは巡ったので、後は東山五条を通って帰ってきました。あっという間に一日、でも、盛り沢山の一日でした。

※タイトルのBOSSA NOVAが似合うかなというのは、STAN GETZ & JOAO GILBERTOのアルバム、「GETZ GILBERTO」A面4曲目 Desafinadoを想定してます(^^)

京都府京都市下京区御旅町

投稿者 taku : 17:11