T.REX(ティーレックス) / MARC BOLAN(マーク・ボラン)のトリビュートサイト
Marc Bolan(本名Mark Feld)1947年9月30日生 1977年9月16日没。1970年代のグラムロックシーンを代表するアーティスト。 David Bowieらと共にグラムロック・ムーブメントを引き起こした。洗練された音楽・ファッション・詩からは、未だに新たなファンを生み出す神秘的な魅力(永遠のカリスマ)を感じさせる。

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2006年10月18日 | 投稿者 taku : 2006年10月18日 23:51

叱らない大人と叱られない子供

http://www.usuki-world.com子供の頃はとにかく叱られることが多かった。そんな事をふと思い出した。

8時半前に浜田山駅に到着する片扉の3000系を見たい一心で、数えられないくらい寄り道をした。
通学路とは違う道を通ることになる。その頃は、ほんの少し道を外れるだけでどきどきしたものだった。

或る日、朝の寄り道をしようと駅前まで差し掛かった時のことだ。
「こっちを通ったらダメだろう。ちゃんと通学路を歩きなさい」と見知らぬおじさんに怒られてしまった。
怒られるというリスクを承知で寄り道をしたにせよ、なんだかとても悪い事をしたんだと思い、謝って商店街を駆け抜けた。

小学校までの通学路の途中、井之頭街道の歩道橋を渡らなくてはならない。そのすぐ側には信号のある横断歩道があるのだが、登下校時の横断は禁止されていた。
朝、それも他の小学生がまだ殆ど歩いていない早い時間に学校に行く用事があった。その用事は何だったのかは忘れたか、恐らくアサガオの水遣り当番か何かだったんだろう。
子供心に悪い事への憧れ、一種のヒロイズムが疼き始め、面倒な歩道橋ではなく横断歩道を渡ってしまおうと企んだ。

信号がそろそろ青になりそうなタイミングを見計い、いざ渡ろうとする。
どこで見ていたのか、見知らぬおばさんに手をつかまれた。
横断歩道を渡ってはいけない、歩道橋を渡りなさいと説教され、挙句の果てには歩道橋を一緒に渡るハメになった。

気をつけていってらっしゃい、最期におばさんはそういい残して、横断歩道を戻っていった。
下校時、あのおばさんが歩道橋の向こう側に居るのをみた。おばさんは何も言わなかった。

それからほぼ毎日そのおばさんを見かけることになった。また怒られるのもけんのんだから、二度と横断歩道を渡ろうと思わなくなった。

いつからか、そのおばさんの姿がぱったりと見えなくなった。
手を引いて歩道橋を一緒に渡ってくれた感触がなんとなくやさしく感じていた。懐かしく思えてきた。また会ってみたいと思うようにもなっていた。

近所にガラス雑貨の倉庫が公園に隣接して立っていた。たまに傷物を格安で倉庫の前で売っていたが、その時分は興味がなかったから、その事実だけは覚えている。

倉庫の裏と公園の間にほんの「すきま」があり、そこにどこからか集めて来たダンボールを敷いて秘密基地にしていた。
倉庫で働く従業員に、危ないからこんなところで遊ぶなと叱られた。またしても叱られた。

今では巨大なマンションになってしまったが、当時はタヌキが生息していた雑木林の塀の上を歩いて時も、見知らぬおじいさんに怒鳴られた。
その雑木林の塀に限らず、塀の上を歩くのが大好きだった私は、その度に誰かに叱られていた。それでも、その人の姿を見えなくなるとまたよじ登り、別の人に怒られ、また登る、そんな繰り返しを飽きもせず楽しんでいた。

他にも怒られた事は数え切れない。しかし、今思うと怒られて良かった。怒ってくれた大人には今この場を借りて心から感謝をしたい。


実は、ここまでは前置きで、これから本筋だ。

いつの頃からか、子供には怒ってはいけない、そんな風潮がはびこり始めてきた。その兆しが見え出した頃に子供だった連中がもう成人している。
とあるオーケストラ、隠すまでもないから書いてしまうが、フロイデフィルハーモニーというオーケストラがある。そのオケを引っ張っているのは、世界でもトップクラスの実力と才能をもつ宇宿允人という人だ。
彼のオーケストラには若手が多い。

そのオケに集まる若手を見ていると、どうも顔つきに物足りなさを感じる。
後で判った事だが、日本のクラシック音楽の世界は、我々一般の人間からすると異質であり、無機質でもあり、そして退廃を極めているような印象が非常に強い。
大学毎の派閥があったり、また、その派閥の長の発言の影響力が絶対であったり、とにかく、ボンボンとオジョーの寄せ集めのような世界だ。
気合も入っていないし、緊張感も欠けている。一応プロとして聴衆からチケット代を受け取り演奏を提供するというサービス業である事を完全に忘れてしまっている。
いや、忘れているのではない、毛頭その自覚が欠損しているのだ。

それは、ゲネプロと呼ばれるいわゆる練習・リハーサルの中で感じたことだ。

指揮者は、オーケストラのディレクターだ。
演奏者は、役者である。
その役者達、つまり楽団員が、どの角度から見てもボンクラに見えて仕方ない。一般社会に出れば、ただの無能なボンクラだ。辛うじてクラシック音楽の英才教育を受けてきた手前、プライドだけは一人前だ。手の施し方のない重症患者というのはこういう連中を示す為に生まれた言葉なんだろう。

まず、挨拶。
彼らは挨拶をしない。中にはきちんと挨拶をする子も居るには居るが、全体としては挨拶をしない方が圧倒的多数を占める。
挨拶は基本中の基本であるにも関わらず、絶対に挨拶をしない。
楽器を片手に、練習会場のホールに入るとやおら楽器を取り出し、無口のまま楽器の調整を行う。
あり得ない。一般社会じゃああり得ない。海外のオケでもあり得ない。しかし、この日本のオケ、とりわけ若いボンクラ共にはそれがデファクト・スタンダードになっているらしい。

一方、彼らの技術は長年練習をしているだけあってロボットの如く持ち合わせている。しかし、所詮はロボット感情がない。演奏に感情が入っていない。リズム感も全く無い。頭も悪い。人工知能でも埋め込んでやろうかしらん。

針治療を続けて、壊れかけた体に鞭打って若手を引き連れる宇宿氏には悪いが、よくもまあ、こんなボンクラどもに付き合ってられるなぁと感心する。私にはそんなこと到底無理だし、物理的に可能であってもボンクラの相手などしたくない。金を貰っても断る。

まだまだある。
ディレクターの指示どおりに演奏しない。出来ないのかしたくないのか判らないが、なかなか思うように動いてくれない。
何度も演奏について指示を受け、指揮者に怒鳴れようと、帰れと言われようとお構いなしだ。呆れてモノも言えない・・・。殴ってやろうかと思った。

まとまりがない。なさすぎる。
普通、なんでもそうだが、企業の場合、チームごとにミーティングを行い、その結果報告をチームのリーダーが集まり検討しあったりする。
オケの場合、パート毎に練習するなり、ミーティングを行うなりして、より良いものを作ろうとするのが、海外でのデファクト・スタンダード。それがこのオケにはない。
練習が終わると、自分の楽器をそそくさと片付け、無言で立ち去っていく。挨拶もなしだ。アホばかりだ。
せめて、ディレクターに挨拶ぐらいせえよ、ボンクラどもよ。

正直に思った事をいうが、このオケの連中の大半は、プライドだけ高い、ただのボンクラだ。演奏だってちっとも良くない。
T.Rexばっかり聞いているクラシック素人の私がいうのだから間違いない。プロから見たらウンコだろう。こんな出来そこないの面倒を見ている指揮者は頭がおかしんじゃないかって思うこともある。

しかし、世の中不思議な事が起こるもので、ゲネプロ最終日(全部で何日間かあった)、モーツァルトの何とかという曲の練習に差し掛かった時だ。
指揮者が演奏者ではなく、撮影に来ていたカメラマンに怒鳴ったシーンがあった。練習も終盤、残りは本番を残すのみ、という時間の無い状態。緊迫感が一気に頂点に達する。

凍てついた空気の中、奇跡は起こった。それまでただのボンクラ共にしか見えなかったボンクラ達が指揮者のオーラを身体に受け、まるで魔法に掛かったかのように素晴らしい音色を奏で始めたのだ。
いや、これは魔法のはずだ。そうでなければ、ボンクラ達があんなに緊迫感のある演奏をするわけがない。
思わず私は涙腺を緩めてしまった。その音楽に対してだ。余りにも素晴らしいハーモニーが会場の中を駆け抜ける。It's kind of a Magic, isn'it?

演奏本番、私はどうしても放置出来ない仕事のため、あの魔法がお金を払って見に行く聴衆の前でも再現されるかどうかは知らないが、宇宿允人が彼の寿命を削ってまでボンクラ達を一夜だけのシンデレラに仕立て上げるあの魔法が発揮される事を心から祈るばかりだ。