T.REX(ティーレックス) / MARC BOLAN(マーク・ボラン)のトリビュートサイト
Marc Bolan(本名Mark Feld)1947年9月30日生 1977年9月16日没。1970年代のグラムロックシーンを代表するアーティスト。 David Bowieらと共にグラムロック・ムーブメントを引き起こした。洗練された音楽・ファッション・詩からは、未だに新たなファンを生み出す神秘的な魅力(永遠のカリスマ)を感じさせる。

2005年08月05日

(55)暑い夏の黒猫について

唐突だが、日本語は難しい。
日本人にとって「ひととき」という言葉は、それが一瞬ということではなく、「ある時に過ごしたいくらかの間(あいだ)」を意味することが判る。
例えば、今は季節なので夏を例に取ると、
「ある夏のひと時、私は恋をした」というフレーズからは、夏休みもしくは盆休みなど、およそひと月前後の間の出来事を示す。
しかし、これを日本語に明るくない人(母国語が日本語以外の人)から見ると、物理的に短時間であることを連想するという。
ひと時という時間の解釈は、限定された時間を示すものではなく、前後の文脈と読み手の経験を頼りとする。
こうした言葉は、日本人が時間に対して寛容であった事を意味すると同時に、お互いに共有しているであろう経験や価値観を信頼して使われる言葉ではないだろうか。

タイトルの「暑い夏の黒猫」というのは、そこに漢字を使っているので多少理解が容易だろう。
これをひらがなにすると、「あついなつのくろねこ」となり、絵本で見かけるようなやわらかい感じがすると同時に、猫のやわらかさもこれらの文字のみで表すことが可能だ。
ただ、それは表面的な解釈であり、厳密な意味を汲み取ろうとすると多少困難を必要とする。
猫そのものが熱いのか、夏の黒猫が熱いのか、暑い夏の「黒猫」のことなのか。
もちろん、このような稚拙な例題は余り参考にはならないが、そこかしこで見かける文節において、こうした誤解を招く表記が多いのも事実である。

いわゆる「掲示板」などの書き込みで目立つのが、圧倒的な説明不足による記述や、日本語の表現記号としての優位性を根底から覆す乱暴な表記である。
これは、恐らく日本語での「書き込みと閲覧」を対象にしている掲示板全般に共通している事だと思う。
原因の一つは、「書き込み」ボタンを押すと即座にそれが反映されてしい。修正が困難な事がある。
こうした兆候は不思議なことにxDslユーザーに多い事がアクセスログなどを見ていて判明してくる。

以前、草の根BBS全盛の時代は、ミカカ代を気にしてローカルで文書を作成しておくというのが一般的であったと思う。
ミカカ(=電話代。キーボードでNTTをたたく際にFEPがかな入力になっていると"みかか"と表示されることから生まれたオタク用語。ミカカ代と書くと電話料金を意味した。1990年前後に生まれた言葉だと思う。)

現代、電話料金を気にすることも無く、オフィスなどからでも自由にWEB Surfingを楽しめる時代なった事から、どうも言葉にゆとりが生まれすぎているように感じる。
いい大人が無茶苦茶な文章を書いている事もある。さらによくあるのが自分の書きたいこと(主に自慢)だけをつらつらと書いて、読み手を一切念頭に入れていない内容も多い。

逆に、若い人の方が言葉に対して丁寧に感じることが多い。反面教師がそこに隠されているのだろうか、余程今の若い世代の方がしっかりした文章を書いているに違いない。
明瞭且つ簡潔、そして、何より彼らの敬語は、その辺の大人を任じている人より正しい使い方を心得ているではないか。

時と場合によって、言葉の使い方は選ぶべきであり、それはどの言語においても共通するものである。
円滑なコミュニケーションを図る上での最重要課題の一つであり、まさにそれが出発点であるという結論を下すに、論理的な反論は困難だろう。

ミスをするのは仕方がないと思う。ただ、特に昨今目立つようになった解釈不能な文章の多さはさすがにひどいと思わざる得ない。
暑い夏の黒猫が、これを読んで一体どう思うのかは判らないが、少なくともうちのあついなつのくろねこは、言葉以上のコミュニケーション伝達手段で的確に自分の意志を伝える能力に長けているのだから、人間は言葉をただ持っているだけでなく、それを有効に使える努力を今後も続けていく方が良いのではないだろうか。


2005/08/05

投稿者 taku : 00:00

2005年07月18日

T.Rexは高原野菜だった

T.Rexという名前を初めて見たのは、「最新洋楽ベストナントカ」っていうオムニバス・レコード。
一時期、家にはレコード・プレーヤーが無い時期があり、中学生だった私はそんな家が大嫌いだった。なぜ、うちにレコード・プレーヤーが無いのか?

反抗期。放任主義な両親のせいで、ちっともグレるきっかけを見つける事が出来ず、不良仲間ともオタク仲間とも両方と付き合いつつも、実はパソコン通信で知り合った大人達と音楽の話題に花を咲かせる事で、第二次成長期のもやもやしたうっぷんを吐き出していたように、今になって思う。

そんな折、バブル絶頂期の高級住宅街のボロアパートに暮らしていた私は、近所のゴミ集積場所に捨てられていたレコード・プレーヤーを拾ってしまう。誰も文句も言わないし、いわんやお咎めがあっても走って逃げるくらいの度胸と体力は存分にあった。
久し振りのレコード・プレイヤーは、その後ベルトが切れてしまうまで使い続ける事になるくらいまで使い込んだ。それ程、レコード針を落す瞬間に緊張感と期待感が交錯する悦びに性的な欲求を消化させていたのかも知れない。

整理されていないレコード棚に、K-Tel Recordsが出していたオムニバスレコードが遠慮がちに並べられていた。統一感の無い選曲。安っぽいジャケット。しかし、そこから得たものは、高校進学に失敗しそうになるほど音楽への強い憧れを体感できたものであり、今その出会いが無ければこんな辺境の地にあるようなクソサイトを運営するなどという愚かな発想は出なかったと思う。

Cadillac。恐らく当時はシングルでしか入手出来なかったであろうこの楽曲が、あのオムニバスレコードに収録されている事は奇跡のようなもの。
今でもCDで入手するとなれば、GLAM YEARS,Unobtainable T.Rex Vol,1A Wizard, A True Star\A Wizard, A True Star Disk 1、そして、諸々のベスト盤でしか手に入らないかもしれない。

ものすごく有名で、そして、ものすごくカッコイ曲はずなのに、マーク・ボラン生前のアルバムには収録されていなかったのが不思議でたまらない。
そんな不思議な感覚は、勿論随分後になった了解を得るのだが、その当時はそんな事を知る由もなく、T.Rexの魅力が全て詰まったCadillacに打ちひしがれてしまい、少しずつT.Rexもといマーク・ボランの世界に足を踏み入れるようになる。
コードDで始まるキャッチーなギターリフ、単純なようで複雑なドラム、Groove感溢れるベース、そして、透明感のある(微炭酸の)天然水のようなすっきりとしたヴォーカル、その全てが新鮮なサラダのようなものだった。
そう、T.Rexは肉食獣だけども、彼らが僕に与えてくれたのは、新鮮な高原野菜サラダだったのだ。
2005/07/18

投稿者 taku : 00:00 | トラックバック

2005年06月22日

和田堀公園の猫たちについて

タイトルから一見して地元ネタであるから、井伏鱒二ほどの文豪ならまだしも、名の知れぬ人間の話を聞く人はそうそう居ない。判ってはいるが、書きたいので書く。

その日、というのは先週の日曜日の昼下がり。

友達にとあるプロジェクトのプレゼンをした後、中半強引に散歩に連れ出し和田堀公園周辺を散策してみた。

貴乃花が初詣に来ていたことでも有名な大宮八幡宮という神社の、善福寺川を挟んだ裏手に和田堀池を取り囲むように公園が広がっている。その周辺はさしずめ杉並のハムステッド・ヒースという趣き。

そんなハムステッド・ヒースの中に、このご時世にはミスマッチなほどの集客力を誇る盛況な釣堀があったり、周辺に位置する運動場利用者のものと思しき違法駐車の車列が幅を利かせていたり、太鼓やギターをかき鳴らして野外ライブ状態のおじさん集団など、昭和の片割れが粘着している一方、ノラ猫が泰然と、寝たり、寝転んだり、歩いたり、走ったりと、たいそうのんびり過ごしているポイントが点在している。

猫水、私はいつしかそう呼ぶようになる「空き缶に満たされた猫用の水」が、そこかしこに設置されていて、名の無いボランティアの方々が頻繁に水を取り替えているようだ。その労力たるや如何程にならざらん。

公園では猫たちを虐待する人間が居るそうで、ハコの中で気持ちよさそうに寝ている猫を、箱ごと川の中に投げ入れたりする事件が後を経たないのだそうだ。

ただ、ノラ猫を公共の場で勝手に飼育するという事にも平然と同意出来る事ではない。実際、大きくなって飼えなくなったという理由で猫を捨てに来る人が後を経たないようだ。実際毛並みも綺麗で、人間にとても懐いている猫達に出会う事が出来る。しかし、彼らの声はどれも涸れている。

その事情を知る人に寄れば、捨てられた大人の猫達は、捨てられた時は寂しくて、悲しくて、そして恐くて泣き止まないのだそうだ。泣きすぎて声がすっかり変わってしまうというのだから、あんまりだ。

私は現実的な事や、論理的な判断をするのが常ではあるが、こういうときに限っては、虐待したり、生き物を粗末にする人間にバチが当たって欲しいと切望する。
2005/06/22

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2005年06月02日

甲斐バンド

1980年だったと思う。まだ4歳だった。不良な母親に連れられて甲斐バンド武道館コンサートに行く羽目となった。
そのころ、家にはThe BeatlesやらT.Rex、ROXY MUSIC, Rolling Stonesなどのレコードが始終鳴り響き、それと同時にどういうわけか明太ロック総本家の甲斐バンドの楽曲がズシンズシンと鳴り響いていた。

さすがにビートルズと甲斐バンドは小さい子でもそれ程難なくむしろ心地よいほどに聴こえてくる楽曲ばかりなのでそれ程迷惑には思わなかったが、ROXY MUSICに関しては感受性が不全な子供だった私にはただの恐い音楽としか感じなかった。
当時暮らしていたマンションの階下には、某交響楽団でチューバを演奏していたおじさん一家が暮らしていて、そのおじさんが休みの時は心地よいチューバサウンドが周囲に響き渡るという環境であった。
私にとってはそのチューバの音を聴くことが出来る時間は、ある種のお楽しみの時間であったわけだが、周辺の住民はきっと迷惑だったに違いない。しかし、だからといってギクシャクするような雰囲気ではなかった。

ズンズンズン。低音のそれも地響きがする程の大音量のそれが、会場内を伝わり、それが私の全身に共鳴してくる。舞台は暗闇に包まれ今か今かと待ちわびる今ではただのおばはんだけど当時はぴちぴちのギャルだった女の子がキャーキャー騒ぎ出す。

戦争でもはじまったような爆発音と共に舞台に閃光が放たれ、その瞬間ギターとドラム、そしてベースとボーカルが一斉に暴れ出す。甲斐バンドの登場だ。

しばらくの間はそれほど好きな曲がなかったので覚えてないが、ライブ中盤か後半、「破れたハートを売り物にして」のイントロが延々と続く。3分程度続いたくらい長く感じた。実際長かったのか、そうでもなかったのかは4歳の私にはわかるはずもないが、随分とワクワクした。


2005/06/02

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2005年04月18日

T.REXブーム再来なるか?(およそ週間コラム-50-(4/18)

T.REXの映画「BORN TO BOOGIE」。10年近く前に中古レコード屋で見つけたのは、まさに奇跡的な出会いだった。
それまで、マーク・ボランの動く映像といえば、SOLID GOLD T.REXというビデオクリップ集や、栄光のグラムロックというグラムロック大全的なビデオでしか見たことがなく、
どの中古レコード屋で探しても到底見つかるような代物ではなかった。
それがちょうど2年程前にイギリスのT.REXファンからのメールの追記に「Born To Boogie(以下BTB)がDVD化されるってよ!」とあり、それを見て一瞬小躍りしそうになるが我慢。

まあ、我慢した甲斐もあって想像よりずっと良いDVDに仕上がっているようなので、後はテレビの前のスペースを片付けておけばそれでOKっていう状態だ。

とはいえ、一つ懸念がある。日本版のDVD発売に関しての盛り上がりが一切無い点だ。
ここまでデカイ話になると、メディアでも相当取上げられても良さそうなものなのに、ちっとも見かけない。
テレビをあまり観ていないという事もあるかもしれないが、それにしても、そういう情報が入ってこないのが不思議だ。
業者さんとか某ファンクラブの方達がこのサイトをチェックしてくれているのはわかってるので、この際GUEST BOOKに宣伝してみてはどうだろうか。
勿論、広告料頂くけど(笑)

ま、冗談の半分は置いといて、実際GUEST BOOKに業者サイドで書き込みがあったりすると、それを見たファンは嬉しいよね。ワクワクするというか。
イギリスの業者からは頻繁にメールやらプレス向け資料が届くというのに、日本は一切そういう広報活動をしないっていうのが不思議。
せっかくのお祭りなんだから、楽しく盛大にやりましょうよ、ね!

投稿者 taku : 12:00 | トラックバック

2005年03月08日

カーテンの裏側

思ったよりなかなか捗らなかったサイト・リニューアル。
サイト全体のバランスを統一する事を前提で行ったのだが、それまでページの多くが統一感のないものであったため、再調整するのに時間が掛かった。
実を言うと、このサイトを続けて行く事に対しての疑問を常に感じていた。以前もコラムで書いた事でもあるが、サイトを開設したきっかけは他にT.REXの情報が余り無かった事と、WEBサイトというシステムその物を親友のサーバーで実現出来るという事で挑戦してみたかったという事、この二点だけであった。
現在では多くの個人サイトやBlogなどでT.REX関連の話題を非常に容易に目にすることが出来る。隠蔽されていた個人の思想が爆発的に開放されたかのようにこうした事実は私の気分を喜ばしてくれる。
もはや、このサイトの存在意義はないし、役目も終えたと自覚した。ただ、役目を終えたからといって閉鎖するのも「もったいない」。既にドメイン更新のためにポケットマネーを使い、ちっとも利益の出ないボランティアサイトが、検索エンジンなどで引っかかった時の訪問者側の喜びを私は知っているから、もう少し様子を見てみる事にする。

今、別のサイトの立ち上げを考えている。それは今まで私自身がやりたかった多くの事を一つの環境にまとめるためのプロジェクトである。
多くの個人WEBサイトでは、その制作者のプロフィールや趣味といった内面的なものを公開しているのが多く、私などはそうした文面を見るたびに勉強させてもらっている。
だた、このサイトでは、そうしたものをなるべく排除してきた。設立当初は、ドメインの取得みしてなかったし、コンテンツと呼べるようなものはなかった。思い付きでサーバーにアップしているだけという稚拙な内容が当分の間続いていた。
新しいプロジェクトサイトでは、そういう稚拙ではあるが、思いつきをそのまま表現出来るWEBの世界の面白さ、作品公開の場としてのツール、公開する事に対して背負うべき責任感などといたものをミクスチャーさせ、一度WEBの原点に戻ったスタイルを提唱していこうと考えている。
実験的ではあるが、複数の人間が携わる新サイトで、私は大いに暴れてみようと思う。
TREXTACYというサイトは、T.REXのファンがちらっとみて通り過ぎ行く、そんなサイトでもいいと思う。むしろ、そうしたスタイルこそが、日本のT.REXファンには丁度心地よいのかもしれない。


2005/03/08

投稿者 taku : 15:14 | トラックバック

2005年01月01日

NEW YEAR GREETINGS

世界中であらゆる出来事が起こり、その出来事の中でも数多くの犠牲を出した戦争や自然災害などが強く印象に残った昨年でした。個人的にも非常に時間の長く感じる1年でもあり、特に後半はもっと時間が欲しいと思う事が多々としてありました。

前半は、それこそ無駄な時間を過ごしてしまったなという後悔の念があったのですが、しかし、そうした経験も良い教訓になったのではないかと考えるようになりました。

新年の挨拶をBBSに書こうとも思ったのですが、私の当面のスタンスとしては、管理・運営面での役割に重点をおき、BBSは訪問して頂く方をメインとして、管理者は基本的に書き込みはしないという方針を考えています。

色々と理由はあるのですが、その主流にあるのは情報の相互交換を主体にしたいという事です。管理人はあくまで管理を行い、一歩外から見守っていくほうがよいだろうという思うからです。

そういう事から、今後はレスを中心とした発言は無くなると思いますが、訪問者の方々同士での交流を深めていって欲しいという想いから出立した考えですので、皆さん積極的にBBSを活用して交流を深めてください。


冒頭で少し書きましたが、2004年という年は様々な事象が歪曲した空間を極端な速度で右往左往した1年でした。単純に1年という区切りの中で世の中が動いているとは想いませんが、それでも、これからの1年は少なくとも災害や戦争といった悲しむ事がない1年になれば、そしてその状態が長く続けば良いと強く念じずにはいられません。
新たな一年をどう過ごすかはそれぞれでしょうが、そのそれぞれが幸せな一年を過ごせますようにどうぞ。
以上を新年の挨拶として。

投稿者 taku : 10:35

2004年12月08日

グラムなオリエント

近頃、マイナーな博物館や美術館に行くのが楽しくって仕方が無い私ですが、中でも一番楽しかったのが「中近東文化センター」というその名が冠する通り中近東の美術品を集めた博物館が併設されている研究所です。

中近東と一口にいっても、その広大な土地は古代から東方と西洋の文化交流のルートに位置していたせいか、複合文化芸術とでもいうのか、一風独特の体裁を整えてます。

イル・ハーンというモンゴル人が中央アジア一帯を征服してからの続く100年間の美術なんかが好きです。

今までは南宋の青磁や高麗青磁が私の興味の中では一番好きな部類だったんだけど、東西の交易ルートの中間地点辺りの美術品もなかなかです。

古代エジプトの神オシリスとその妻イシス、そしてその二人の間の子ホルスにまつわる物語もそこでの訪問をきっかけに知る事になり、古代インドのエロティックなお話もいいけど、中東地域の神話にも興味を抱くようになりました。

お気づきの人いますね、「オシリス」はHedwig And The Angry Inchの中で出てきた"Origin Of Love"の歌詞の中にも出てきた中性を象徴する神の一人。(ちょっと語弊あるけどね)

あの映画の中で、ハンセルはアメリカ人軍曹と出会い、そして結婚する事になるけど、彼にとって結婚の妨げになるという男性シンボルを切除する手術に失敗し、それがフィジカルにもそしてメンタルにも「しこり」となって遺る。

オシリスも、自分の弟にその身体を細かく切断されてしまい、妻イシスがそれらを丁寧に拾い集める。ただし、男性シンボルだけはナイル川のワニに食われてしまっていて、彼は中性となってしまう。

ま、皆さんご存知なのかもしれないけど、私は偶然、調布にある中近東文化センターでその話のつながりを知ったわけです。ついでに、マトリックスのネブカドネザルもエジプトの王の名前だったのもそこで知りました。

こういう落ちなら、グラムロックと無関係な話をしているわけでもないって納得していただけたでしょうか。

投稿者 taku : 10:15

2004年11月17日

趣味の先には。

唐突ですが、私の趣味は小学生の頃からたぶん何一つ変わっていないみたいです。

といっても、小学生だからこそ出来たことや、逆にある程度成長しないと出来ないことなどはありますが、趣向という点ではそう大差がないように思います。

江戸趣味という言葉は私のお気に入りで、その言葉の由来などを深く考えずに「あれは江戸趣味だな」などと感慨にふけることがあります。

江戸の趣をいい感じで醸し出している味、もしくは、江戸と呼ばれる地域全体で遊ばれている趣向の事を言うのでしょう。まあ、そんなところだと思います。

趣味と興味というのは、ほぼ同じものだと考える事もあります。もちろん、そうした考えは主観的なものだから、狭義での語彙は異なるでしょう。しかし、興味を持ち続けている事が即ち趣味になるのではないだろうかと考えるのです。

私のよく知る人で、趣味が無いという人がいます。でも、その人は好きな事がいくつもあり、その中のどれかは常に続けています。ただ、それを趣味とは言いません。なぜかと聞くと、趣味と言えるほどの事ではないという。

趣味の価値観というのは実は人それぞれのものなのですが、マスメディアや資本主義経済によって捻じ曲げられた趣味の定義が、こうした歪曲した考えを生み出すのだと思います。

趣味というのは、なにもそこにアカデミックな要素が必要なものではなく、また、人に認められる為のものでもありません。

ですから、他人にとってはそれが例え趣味として認定されないとしても、アナタが興味を持ちつづけているのであれば、それを趣味として自信を持って行く事が良いでしょう。

そうした自信が、いつか何かすごいのものに化けると思います。興味を持ち続けてさえいればいいのです。

投稿者 taku : 10:25

2004年11月06日

腕がシマシマだったよ。

まあ、実を言うと結構以前から気付いてはいたんだけど、腕の後ろが縞模様になっているんです。

ちょっと不思議に思ったので、よぉく観察したり触ったりしてみたけど、その部分だけ毛の色が縞模様になってます。
つまりどういうことかというと、毛一本の中に、濃い黒と、灰色が一定の間隔で混在しているようなんです。ちょっと不思議でしょ?
まあ、こういうのは、猫にとってはちっとも不思議じゃないんだろうけどさ、人間にしてみると、摩訶不思議。しかも、なぜ腕の部分だけ? しかも裏側!
それまでは、ただの黒猫だと思っていたんだけど、気付いてから自分の観察力の無さに飽きれてしまいました。

つい先日の仕事帰りの事です。電車の乗り降りで行き交う人々の中に紛れて、目の見えない少女が立ち尽くしてました。誰も手を差し伸べようとしません。
これが、日本なのか、これが都会なのかと、ほんの1・2秒の間に色んな事が頭の中を駆け巡ってました。白い杖は、それ自身がシンボリックな存在を示しているのに!
私の「他人から発せられる懐疑的な(偽善として見られる)視線に対する耐性」は、その子に声をかけて車内へ誘導するのには何の苦労もありません。。でも、その動作を見ている周囲の視線が稀有なものを見るようなものだったのが腹立たしかったのは事実です。
何か、おかしくないですか?
人が困っていたら、声をかけたりするのは、稀有な挙動なのですか?
しかも、それが、明らかに自分一人の力ではどうにもならない事が明白であっても?
こうした、日常のちょっとした一頁がきっと日本の縮図のような気がしてならないのです。我存じず、己の目前の飯さえ食っておれば、それでいいのですか。
少女は、その見えない目から、満面の笑みとともに、とても清清しい礼の言葉をかけてくれました。率直に嬉しかったです。

投稿者 taku : 10:25

2004年10月27日

何となく色々

まずは前回の解答。
マークの好きな食べ物は何?という漠然としたクイズでしたね。答えは「クッキーと紅茶」。

情報の精度の自信はありませんが、そういう事らしいです。
最も、プライベートな事は余り知られていないから、仕方ないのですが。

日本のリニアモーターカーが、高速移動する事によって電磁誘導が起こり、ガードレール(壁面)に取り付けてあるコイツが磁力を帯び車両が浮上するんだそうです。つまり、最初から浮いているわけではなく、ある程度速度が上がらない限り、地上を走るタイヤ付きの列車なのです。
では、車両が浮き上がる事にどんなメリットがあるか?という疑問が起こるでしょう。あります。抵抗の問題です。地上を走っている限りは、そこに摩擦が発生するのと同時に抵抗が発生します。浮上すれば、受ける抵抗は空気だけになるから、後はその空気抵抗をどうやってうまい具合に少なくしていくかに焦点が定まります。

と、いきなりリニア・モーターカーの話題になりましたが、今回のテーマは、「何となく色々」です。今回、当初は内容をだったのですが、どうも気に入らないので、気分を変えてやり直し。しかも、昔の仕事ノートやら日記を参考に。

ここに日記があります。このコラムを昔から読んで下さっている方はご存知でしょう。ネタに困るとまず日記を持ち出す事を。その日記にはいろんな恥かしいことが書いてあるのですが、今見るとバカな自分の露呈でしかありません。
9年前のある日の日記。そこには突如こうあります。「太陽の中心から大きな蛇が現れた。」何の事でしょう。読み進むと、それが「詩」である事がわかります。日記になってません。

気を取り直し、ページをめくった次の日。「それは全てのものに関係する大事件であった。(完)」一行目の書き出しで既に(完)の文字・・・。しかし、続きがあります。途中は省略。結びの手前の行に、『風下にいるイルカの群れが問いかける。「やあ、こんにちは、元気かい?」』
理解不能。全く持ってワケがわかりません。その翌々日になると、ようやく日記らしい事があります。「今日は木曜日。今は夜中の2時。外ではカラスが大きな声を出している」
まあ、こういう「秘密のノート」は、自分の内面を書くのが普通ですが、私の場合、内面も外面もない、数年後、数十年後の自分が読んだら困るようなことを書いてあるだけ。過去自分は、未来の自分を予見してほくそえんでいたのでしょう。なんて馬鹿なんだ。

投稿者 taku : 10:25

2004年09月20日

ナイナイナイバー

まずは、「なぞなぞ」から。

わかった人は、例えあなたがBBSに書きこんだ事のない常連さん(yahooBBユーザーに多い)や、最近ご無沙汰で書き込むの恥かしいあなた(「か」行の都道府県に多いらしい)であったとしても、
何かしらの「こたえ」を書いてもらえると、そこはかとなく嬉しいし、なぞなぞを出した手応えがあります。ただ「わかりません」っていう回答だけは止めてください。だって、寒いし、盛り下がるし。おねがいね。
では。
『いつも衣服の裏側ばかり見ている「ロシアの有名な指揮者」 はだぁれ?』

本当は、T.REX(T.レックス)関連のなぞなぞにするべきなんでしょうけどね。マーク・ボランが好きな食べ物は、さてなんでしょう。(これはクイズ)

リクルートのサイトでイサイズというのがありますが、その名称の説明が「自分のサイズ=I SIZE」なんだそうです。
たしか、コンセプトには、自身のライフスタイルに合った「適量」の情報量を提供するといったコンセプトなんだそうで、さらには、委細という言葉ももじられています。
その造語についてよりも、自身のライスフタイルに「似合う」というところに着目し、それを企業に当てはめた上で、企業が持つコンセプトやその看板を見ていくと急に面白くなっていきます。

コンセプトが明確な企業ほど、その企業の看板は自然と明確なものであり、何をするにしても、道筋がくっきりと浮かびだされてます。ここでいう看板というのは、単なる表向きの顔だけでなく、その企業内部の洞察力やチームワークを示します。
これを地図に例えると、シンプルで且つ判りやすく、誰もがその地図を手に取った途端、目的地へ容易に向うことの出来る案内図となります。
その一方、コンセプトが不明確な企業ほど、目的地に到達する事が到底不可能な地図、もっと判りやすく言うと、その地図に記されたランドマークが「散歩中の犬」だったり、「風で転がってきたコーラの缶」だったりするのです。
きっと皆さんの周りにも、そんな企業があるかも知れません。実際、私の周りにもいくつか「散歩中の犬」が主役の地図しか持たない企業もあったりなかったり。

新興企業ブームの中、これは!というのがあります。衣食住の「食」に関わる企業です。
外食産業や、流行後追い型の企業ではなく、古の時代から変わることのない普遍的な企業の事を意味します。
なんて堅く言うと意味不明ですが、つまり八百屋とか魚屋、肉屋、米屋、日本人の食生活に欠かせない「素材」を扱う企業のことです。
いくらITだ携帯だなんだかんだと叫んだり発狂したり目まぐるしく変わったりしても、「素材」だけは欠かせません。
(ま、今、お魚屋さんのサイトを構築しているっていう事もあるんだけどね)
電話の誕生によって、力のある企業だけでなく、ない企業も一定の地位を確保できたのと同じように、情報に関わる産業分野においては、スタート時の差別化はあるにせよ、整理されていく過程で平等化していきます。
平等化されると、それまでちょっとしたコトを武器にアドバンテージを確保していた企業と、そうでない企業の差はなくなり、残りは、企業Identityの比較による消費者側の審判を待つのみです。

どうも、このコラムは猫の話か、とんちんかんな方向の話に、自然とベクトルをあわせてしまうようですが、T.REXで検索してたどり着いたサイトにも関わらず、とりあえず、このコラムを読んだ「はじめてのあなた」の事を全く考えていないのは、コラムを記述する目的がT.REXとは関係ないところから出立しているからという弁明だけ最後に残しておきます。

投稿者 taku : 10:25

2004年09月05日

コピー

「あ」現代国語、日本人の多くが一番最初に教わる文字、それが「あ」。
文字としても、そして言葉としてもとても多くの意味と感情がこの「あ」に詰まっています。
「あ」の威力はとてつもない。あらゆるリストの先頭に表記され、日本語の辞書の先頭に座し、中年層の間投詞として最も多く登用。あらゆる面で「あ」はある種の有名人です。

話は変わって迷惑メール。
このところ、私のメールアカウントには数多くの迷惑メールがやってくるが、メーラーが賢い(Becky!2)ので大した被害はない。(もちろん、各種プラグイン実装済み)。最近は届く事自体が楽しみになってしまっている。
とはいっても、99%のSPAM達は、相当低い文章力の持ち主が書いたダサイ内容で、とにかく強烈な単語の羅列なだけ。
知人を装っての騙しメールだって、たった数行の短い分にも関わらず、論理的な欠陥だらけで笑い飛ばすだけの気力も起こらない。
幼児が大人に欲しい物をせがむ時の言い分の方がずっとシンプルで訴求力が強い。

そもそも、SPAMメールを作成している人々、もちろん顔の見えない相手ではあるが、大抵「ブサイクなのにいい匂い」連中だと断定しつつ私は話を進めていくけれども、連中のコピーセンスは酷い。
たまに、体裁だけは大手メルマガそっくりの「それっぽい」スタイルをとりつつも、内容はぼろぼろ。きょうび小学生でも書かないようなうんこ的文章には辟易させられる。
うんこ的文章というのは、それ自体も威力を有してはいるが、そいつが言葉や文章に変化しても尚も万人から忌み嫌われる悲惨な文章の事を意味し、その多くの発生源は語彙力の少ない小学校低学年の児童から発せられる言霊である。
そんな低知能を有する彼らの考案せしめるメールでも、箸の先で摘んで捨てる程度であればなんら害を得ない。しかし、それが米びついっぱいに盛られたとなると話は別だ。その処置に多少の労力と時間を要してしまう。
こうなれば、こっちも自棄(やけ)だ。徹底してSPAMメールフィルターをメーラーの方で細かく設定し、いざ届いたとしてもゴミ箱へ直行するように指示するばかりだ。
ちなみに、サーバー側でかけるSPAMメールフィルターに加えて、メーラーでもフィルタリングする方が効果が大きいようだ。

コピーといえば、私の愛読書の一つで「糸井重里の萬流コピー塾」という本が面白いコピーが量産されていて好きだ。元々週刊文春で連載されていたコーナーで、毎回あるお題を出してコピーを葉書で募集するというもの。
葉書で投稿するからこそ、直筆の温もりを活字になってもなお感じることの出来るその時代が、羨ましいとすら感じる。

このコラム、実を言うと、たったこんだけのくだらない内容なのに、時によっては数日掛かる事がある。内容が思い浮かばない時もあれば、書きたい事がありすぎて結局虫食いセンテンスとなる事もある。
別に更新に命掛けているわけでもないし、そろそろレイアウトも変わってしまう(リニューアル準備中)わけだから、そのままにしておいてもいいのだが、なんとなくここだけは更新したくなってしまう。

なんだか、まとまらないのが気になるので、最後にこの写真を見てもらって終わりにしようと思う。これは、私がはるか昔「てっちゃん」だった頃、富士見ケ丘車両区の現場の担当者の当時おにいさんの人から頂いた写真である。(追記:写真は既にサーバーから削除しました。)
写真が退色してないのは、私が補正したからであって、素材である紙焼きは既に退色が進み、時代の移り変わりに自身年輪を重ねた事を痛感させるものである事を付記する。

投稿者 taku : 10:25

2004年08月10日

無題

以前NHK-BSで放送されたポール・マッカートニーの赤の広場でのライブが、昨日再放送されていたのは、皆さんご覧になったでしょうか?

深夜の事だったので、録画予約だけしておいて早々に床についたのですが、放映される直前に目を覚ましてしまい、録画されているかどうかとチェックする為に・・・というのは口実で、見たかったんですね、きっと。

ドキュメンタリータッチで構成された内容がとても印象的で、色々と考えさせられました。

私はどちらかというとどの河川で泳いでもその流れの偉大さに身を任せてしまうところがあり、例えば幼少期に聞いたビートルズによって洋楽が身近に感じるようになったり、思春期に聞いたドアーズやT.REX、David Bowie,The Who,etc...もちろん、ロックばかりでなく、色んなジャンルの音楽に影響され続けてしまうのですが、
ビートルズというのは、そうした中でもグローバルに民衆を動かす事の出来るダイナミズムを持っていたんだと改めて感心しました。
そもそも、音楽っていうのは、それを河川に例えると、一つの大きな潮流があり、それに流される事を意図的に拒絶したとしても、その河川に通じたり、分岐した支流に流される、つまり誤解のないように補足すると、流されるという事はネガティブな要素を含めていっているわけではなく、むしろ柔軟である事を表現していることを念のためエンファシスしておきます。
話を戻しますが、少なくともどこかの支流、それが、か細い絹糸のような春の雪解けが生み出す小川かもしれません、そうした小川は少しずつ大きい流れになって、やがてうみに到達するという、人種や偏見のない、一つの海に出て行く事が出来ればいいと強く感じました。

番組の中で、社会主義の崩壊は他のどの機関よりもビートルズが強力に押し進めたという話が出てきました。もちろん、直接にビートルズが旧体制を崩壊させたという意味ではないですが、これは全世界的に民意による政治への切望がペレストロイカを産みだした、断定は出来ないけども、少なくともその一端はそうした大きな潮流によるものであると感じます。
悲惨な事に、国境という政治的な境界線によって幾何学的に人間が隔てられている以上、閉鎖された環境で孤独に生きている人にとっては、永遠に彼らの求める自由はないでしょう。
しかし、それが取り払われたとしても、統制がなければ人間の事です、理性の欠如した生物によって再び同じ歴史が築かれてしまうかも知れません。
敢えて鋭角的な発言すれば、つまりは、文明の利器を手にしたサルは、欲望を達成するための手段は選ばず、いわんや、選び抜いた上でそれが彼らにとっても最も効率的で且つ効果的であるかを解明した時点で、例え地球を崩壊される結果となったとしても遂行してしまうでしょう。
もちろん、個の力ではどうすることができなくても、中国で起きたサッカーの試合に対する稚拙な行動が一部の国民に肉体的・精神的脅威をもたらしたの同様に、群集心理が意図しない方向に動く限りは、平安を得るには至らないと心痛しました。
しかし、冒頭で述べたように、身を委ねる事に良心を痛める事のない潮流が存在する限り、まだ捨てたものではありません。

そんな事を深夜の放送を見ながら枕もとで思っていました。

投稿者 taku : 10:24

2004年08月01日

続々登場T.REX関連STUFF

サイトの更新、というよりも、全面的なリニューアルを行なう予定ですが、とりあえずはコラムの更新を久々におこないます。
T.REX関連の待望のCDリリースやDVD発売など、今年の夏から秋にかけてはファンは決して見逃す事の出来ないイベントが目白押し。

さらには、待望のグラムロック・イースター@渋谷クラブ・クアトロも例年通り開催される事もあって、どこか小躍りしてしまいそうな時期に差し掛かってます。

そのグラムロック・イースターですが、話に聞くところによると、
1)「チケット代が\5,000は高すぎる」とか、
2)「生粋のT.REXファンが少ない」
3)「平日の夜は仕事でムリ」 などというちょっと後ろ向きな声が聞こえてきます。
確かにチケット代が高いのは認めます。Londonなら「メジャー」バンドでもその程度で見れますからね。
次の、「生粋の~」っていうのは、きっとこういう事だと思います。「出演者目当ての若いファンが多い事に居場所を見出す事が出来ない」ってね。
で、最後の平日の夜っていうのは、人それぞれだと思うからなんともいえない。

T.REXのCDリリースということですが、そのタイトルはトータルT.レックス 1971-1972というもので、リンク先を見れば判るように興味深い内容になってます。
ただ、どちらかというと、コアなファン向けということで、コアなファンでも実は「え、もう持ってるよ」と、なぜ持っているのか不思議なんだけど、とにかく「持っている」曲で構成されているらしいので、その辺りは自分の耳で確かめてほしいと思います。
私は付録のDVD-ROM目当てに「欲しい光線」を発し続けていますが、願いは叶うのでしょうか?

DVDリリースの「ウ・ワ・サ」ですが、こちらの情報はBBSに記載してあるので、過去ログ検索でもして見て下さい。
日本国内で販売される商品については、オマケが追加されればいいのですが、今のところどうなるかは判りません。

投稿者 taku : 10:24

2004年05月23日

サイト運営で思う事

運営とまで言うと私には大袈裟な言葉であると感じるが、こうして自分の趣味の世界を公開するという事に違和感を感じるようになってきた。

その昔、ラジオが発明され、次々に草の根ラジオ局が開局し、やがて法律による開局制限や、資本を有する企業による淘汰などで草の根ラジオ局が一気に姿を消したという歴史がこの日本には存在する。
メディアに関わってきた自分にとって-私の場合はテレビ放送だが-、多様化する伝達媒体をどこまで信じて良いのかという事に直接的な疑問を身近に感じるようになった。
まだ、高校生の頃や大学に通っている時分は、間接的に関わってはいたにせよ、実感として考えるまでに到達していなかっただけでなく、それと現実として正面から受け止める能力もなかった。もちろん、今に至ってもその能力が備わったなどと自負を出来る程の思慮が無いのは否定出来ない事実でもある。
公開する以上、情報を整理し、出来得る限り正確で且つ客観的な情報を選別する必要があるので、入手した情報を直ちに掲載する事を躊躇しているのが事実でもある。昨今の、情報を受け取る側の判断に任せるといった潮流には頷ける点もあるし、懐疑的な面が無いでもない。
何もかも素直に信用する事ほど危険なものはないが、かといって石橋を叩いて渡るような所作を受け取る側に求めるのも効率が悪い。
現在設置している掲示板にしても、発言の安易さからそこに求められる責任は薄れているし、受け手に周る人の方が断然多いように思う。
活気に満ちた情報、それが例え標榜のテーマとは関わりが無いとしても、受け手が即発信者としてなんらかの情報や感想、意見などを発信していかないと、その母体となるメディアは突然姿を消すといった状況になると思う。
つまり、情報媒体とはいっても、それに人間が関わっている限り、共同作業で構築しかなくてはならない、と感じるのである。

投稿者 taku : 10:24

2004年04月27日

エネルギーについて考える

公園のベンチに座って他愛も無い事を考えながらふと足元をみると5ミリにも満たない小さな蟻が自分の身体の1/3近い何かを運んでいた。

その何かは判別できなかったが、軽快に歩き回りながら小石を乗り越え雑草を横切りテキパキと彼らの仕事に励んでいる姿が妙に印象的だった。
彼の行動を眺めていると、やがて巣穴の入り口で荷物を別の蟻に受け渡し即座にまたどこかに移動した。連携プレーだ。

カバンの中に喫茶店から持ち帰ったコーヒーシュガーがあるのを思い出し、それを巣穴の近くにこぼしてみた。小学生以来の「つまらない事」をやる自分自身が滑稽に思えた。
何匹かの蟻がその砂糖粒に気付いたが、それを運ぼうとせずに巣穴に戻っていく。大方報告でもするのだろうと思案すると、まさにその期待通りに大勢の蟻がまさに人海戦術で一気に砂糖を運び入れる。壮観だ。

蟻でさえもチームプレーを行い、非常に効率的な仕事が行なえるのに、私の知る某所ではまったくそれがなっていない。非効率的行動を自らを以って任じている行徳の俎板がSiduriに現を奪われる姿を蟻に見せてやりたい。
声にも成らぬほど小さいかもしれないが、しかし大勢の嘲笑が聞こえてくるようで可笑しい。

しかし、そういう現象を教えてくれた蟻にせよ某所にせよ、私にとっては非常に大きな勉強となった。蟻のようにあれだけ小さな体積であるにも関わらずそのエネルギー量は偉大で、とても人口物によるミニチュアロボットには再現出来ない構造は、まさに神の創造物である事を痛感させられる。
自然という神の持つ柔軟な発想や「よく出来た」地球システムはとてもじゃないが人間が太刀打ちできるものではないという事を嫌ほど知らされた「公園でのひと時」であった。

投稿者 taku : 10:24

2004年04月01日

ビールなんてきらいだ

うちには、常時128本のペットボトルと、256本のビンボトルと、512本のパイプラインと、1024本の毛細血管と、4096本のノックと、65536色の16ビットカラーで構成された9821Ap2/M2が置いてあります。

そのなかでも、スパニッシュスタイルのつゆすくなめ肉ダク・飯ダク吉野屋弁当は秀逸。

ここだけの話、法隆寺の桜の木に落書きをしたのは、時の総理大臣小泉八雲(本名ラフカディオ・ハーン)なのです!!!!!!!!!!

あ、いっちゃった。

当時はまだペットボトルは捨てられてしまうほどの存在。南天深宇宙が遠くの存在だと信じ込まれていた時代。ハワイの天文台が実はミサイル発射基地だったという重大ニュースを隠していたイルハンが逆転満塁ホームランを打ったあの決勝戦。

だってね、イルハンがダルビッシュのシンカー(桑田伝授)を狙い打ちした時のあの表情、おもしろすぎて、さっき食べたばかりの餃子とハンバーグと、カルバナーラと、バナナ、生ニンニク、イソギンチャク、アメフラシ、イソフラボン、牛乳、コーヒー牛乳、いちごミルク、、牛乳ミルク、ミルク乳飲料を全てリバーストライアングルしたくらいですよ。

そのくらいインパクトがあったインターネット博覧会、インパク、結局構造改革とか、そういうわけのわからないダメ文句に騙されていただめジャパニーズが闊歩していた時代の事なんて、もう思い出せないていうか、そんな歴史の教科書を紐解く余力はありません。

朝食はいつも一り。たまに、恋人のサンタクロースがトナカイの肉をひっさげてやってくるけど、そのくらいなもの。


追記:(エイプリル・フールネタらしい・・・) 

投稿者 taku : 10:24

2004年03月21日

10年前を見る

色々書いたり消したりしているうちに、どうにも面倒になったので別のことでも書こうと思う。

とりあえず表題は残しておくので想像で「消した部分」を欲しい。
まあなんだ、この間から桜が咲いたの咲かないの、春が来たの冬に戻ったのと釈然としない。とはいえ、春の陽気な空気は気分がいいもので、散歩したり寄り道したり、用もないのに外に出たがる私の習性はここに来て顕著に現われる。
気取っていても突っ張っていても、やっぱり春の花見は楽しいもので、源さんも香具師も皆一斉に花見を楽しむのは壮観だ。

10年前の日記が出てきたので読んでみる。3月の後半は大学に合格したの、人生とはなんだのと、自分で読み直してみても詰らない内容ではあるが、4月になるとやはり桜の話題がちらほら出てくる。
中旬になると桜の話はとうに散ってしまって、新生活の感想や、朝見た夢を書いてみたりと、話題が八方に飛んでいる。まあ日記だから当然ではある。
ちょっとページを飛ばして6月の中旬になると絵が書いてある。何の絵なのかわからない。
7月、『絶対売ってくれない元素は?・・・答えウラン』とか、どうでもいいだろう、そんな事。日記のネタじゃない。
高校2年生の3月の日記が出てきた。ソ連が崩壊し、それまでの旧名であるウズベクがウズベキスタンになったの、キルギスがキルギスタンになったのと、ただ中央アジア5カ国の名称変更が書いてある。
1993年9月18日、似顔絵が書いてある。わけがわからない。

しかし、紙で書かれた文章は面白い。真面目に書いているときや、疲れて適当に書いている時、文字のゆれがその時の心情を表している。決してPCに入力する文章には太刀打ち出来ない表現力である。
確かに活字は文明までもを押し上げた偉大な発明であるが、どうやら人間の手というものは未来永劫その繊細さにおいて超えるものはきっとないのであろう。

投稿者 taku : 10:24

2004年03月08日

まだPentium3でいいか。

大体2年に一度、メインマシンの構成入れ替えを行なっているのですが、今年がその時期でもあり、また、そんな気分になってます。

今のところはCUSL2-CにP3の1G&その他(笑)という構成で、実はTualatin対応の815EP(B STEP)マザーが余っている所です。今更換装する気にもなれないので、そのまま放置。
マザー,CPU,MEMORYさえ用意すれば現行のパーツをそのまま使えるからコスト的には有利ということで、Pentium4導入を考えつつ、AMDに鞍替えもいいかなとも悩み中。
TualatinコアのP3の価格が1万以下ならそっちにするんだけど、結構高いんですよね。2万程度するかな?なので、どうせならP4かと。
そんなこんなで兎に角マシンを更新したいと思っている最中、衝撃的な出会いが2つありました。ひとつはiPOD。こいつはなかなかのもので、私のCLIEの使用状態を考慮すると、iPODでも十分日常の生活(笑)に対応できるかと。
もう一つはZAURUS SL-860。Linux搭載っつう事で心惹かれてます。電車の中でe-macs使えるとか、DB構築出来ちゃうとか、まあ、普通じゃない使い方が出来るのがオタク心をくすぐります。
こういう「オタク」っぽいネタを書いていると、T.REXファンはオタクばっかりだと思われていまい価値ですが、まあ、音楽好きな人って基本的にインドアじゃないですか。なので、サイトのブランドイメージを壊すような事を管理人が平気で書いている事自体、許容範囲かと思ってます(笑)

ともあれ、ザウルスかPentium4か、はてまたipodか。どれも5万円程度のちょっと遅めの自分への誕生日プレゼントを4月頃までに「とことん悩んで」買えればいいなぁと思う今日この頃です。
あ、そうそう、Mini Cooper(最近のやつ)も欲しいんだけど。誰かくれないかなぁ。まあ、乗れれば何でもいいから車が欲しいこの季節。欲望は俳句に乗って現われる・・・。
hmm, hilarious isnit?

投稿者 taku : 10:15

2004年02月28日

左利きは辛いさ

まず、右利きの人に聞きたい事が一つあります。マウスを左で操作出来ますか?

コンピューターデバイスの場合、特定のインターフェースを除けば自分の利き手を意識する事無く殆どを右手で操作可能であるし、別段不便を感じる事もない。
ただし、いくつかのデバイス(製品)は右利きの人間が開発・設計しているせいか、左利きには使いづらいばかりだけではなく、予期せぬストレスに悩まされる事もある。
しかし、大概の場合余り気にする事無く普通に生活出来るのが不思議だ。

大学生の頃。学食で友達4人と昼飯を食べていた時にふと気付いた。4人とも左利きである。
「そういう」大学であったからかもしれないが、これほど珍しいことはなかった。とても居心地が良く、まさに太平である。

冒頭で質問したマウスの事。かくいう私はどちらでも仕様可である。平生は右手で使うが、偶然マウスが左側に置いてあっても(右側に戻すの面倒だから?)、そのまま使い続けてしまう。
仕事をしているときに特に不便に感じるのは、周囲の対応である。左利きであるがゆえ、ものの配置等を自分用にアレンジしても、マスの右利きは違和感を感じるようだ。こっちは全ての事象において違和感を感じている、いわんやストレスを感じているはずである。

ところで、みなさんは「といさ」の時そういった利き手を感じることはあるだろうか。何それ?といわれても仕方がないが、まあ、気付いた人はBBSなどで感想を頂けると勉強になる。

ともあれ、左利き用のあらゆる製品が売られている店を知っている人がいれば是非教えてください。ただし、ロンドンの「あの店」を紹介されても簡単にいけないので、それはなしで(笑)

投稿者 taku : 10:15

2004年02月02日

ネコの話の続き

早朝、おそらく5時頃。ドアの向こうでネコが「遊ぼうよ~」と突然やってくる。
体はだるいし、頭もすっきりしてない。大体、こんな朝早くからネコと遊ぶエネルギーなど毛頭無い。
しかし、無視出来るほどの勇気もない。
仕方なくドアを開ける。すると、部屋中に響く程大きく喉を鳴らす音と共に、ゆっくりと枕元に着座し丁寧に挨拶を始める。

目を開けるのは億劫だったが、布団を少し上げるくらいはそれ程苦でもなかった。
スルスルっとふわふわした物体がわきの下をお腹をくすぐるように入ってきた。暖かい。冬は猫コタツに限るなと、寝ぼけているくせにそういう仕様も無い事は容易に思い付く。
しばらくの間布団の中で大人しく横たわり、喉を鳴らしてご機嫌のようだったが、飽きっぽい性格だからか、また何処かに行きたがりドアと開けてくれと要求する。

寒いし眠いし面倒なんだけど、来た時と同様に断る勇気が出せず言うなりとなる。
何度かドアをネコの手で開けさせる訓練みたような事に挑戦してみたが、レクチャーを受ける当人は全く迷惑そうにちっとも覚えようとしない。

そもそも、他人の言いなりになるような性格では大器にはなれないだろうし、我が道という確固たるベクトルを有さないのは損だ。
ネコというのは、自分の持つべきベクトルを有しつつも、適当なところで柔軟性を発揮する。彼から教わる点は大きい。

こういった感覚は何も猫からのみ得ていくものでもなく、犬と一緒に暮らしている人であっても、何かしら観察の対象となる何かがあれば自然と得られるものであると確信する。
私の場合は身近にネコがいるから自然と、恐らくそれは感覚的なものであるかもしれないが、いづれにしても客観的思考を養う訓練のようなものを無意識の内にさせてもらっているのかもしれない。
彼ら猫の生活そのものが羨ましいとは思わないが、寝ているネコの横顔が笑っているように見えるときは、何ともいえない幸福感を味わうと同時に、平穏な生活にー誰に対してではなくー改めて感謝するのである。

投稿者 taku : 10:15

2004年01月21日

ネコの話が続きます

やはりネコと一緒に生活しているせいでしょうか。自宅で仕事を続けている時も、風呂にゆっくり入っているときも、そして自転車で帰宅している時も、電車に乗っているときも、どういうわけかネコの事ばかり考えてしまいます。

ここ数日は寒さが和いだものの、近所のしまちゃんも、うちの前をしょっちゅう横切るトラも、そして多くの顔なじみ達が、この寒い中ちゃんとゴハンを食べているのかどうか気になって仕方がありません。
まあ、「ケモノ」というだけあって、毛に覆われているし(意味違うって・・・)、この冬さえ乗り切ってさえくれれば多少安心できます。

しかしまあ、彼らは「ただ生きる」だけで精一杯。遊んでいる余裕などないし、あの小さな体で出来る限りの事を必死でやっているんだと思うと、人間である僕はもっと頑張らないといけないと励まされてしまいます。

自分より弱い(という言い方も人間のエゴだが)動物の生きる姿を見て元気付けられる自分を客観的に見た時、人間ってのは弱い存在なのだと感じます。

文明という温もりに甘んじているようで、自然界ではちっとも強くないんですね。

そうそう、うちの猫の最近のお気に入りは「一緒に窓ネコ」です。「窓ネコ」というのは、窓の側で外を眺めながら怪しい人が来るとしっぽをペタンペタンと力強く振りはたく事を「我が家」では指します。
契約したくない某有名新聞の勧誘や、マナーの悪い犬連れのおばさん、そしてどこか挙動不審な人物などが近付くと、その姿も見えないうちから警戒モードに入るので、とても重宝してます。
その「窓ネコ」を帰宅したばかりの私は強引に誘われるのですが、そのネコの挙動をじっと伺うのは、なかなか面白いです。(ある意味)お散歩中のおじいさんや、帰宅途中のサラリーマンはノーマークだったりするところが、ネコの動物的感の発達具体を伺う知ることが出来ます。
ただ、疲れた帰ったときなんかに誘われてもねぇ・・・。無視したらわめくし怒るし暴れるし。その辺も「動物的勘」で覚って欲しいところなんだけど、どうでしょう、ネコの皆さん。

投稿者 taku : 10:15

2004年01月01日

しまちゃんまるくなる

近所に、レトロなアパートがあります。住人の様子は全く見当がつきませんが、アパートを囲む年季の入ったブロック塀の上にいるのはしまちゃんです。

彼は、時折通りがかり、にゃあと挨拶してくれる礼儀正しい猫。毛並みもキレイに整えているせいか、真新しい絨毯のような風貌は、絵画のようです。
ここ数日、底冷えのする朝が続き、若干の降雪もあったから、しまちゃんの事が心配になり例のアパートに帰りがけに寄ってみると、身体をちっちゃく縮めてはいたけど元気そうでした。ただ、寒い夜に独りぼっちでいる背中がとても寂しそうに見えました。
ネコは孤独を愛する動物だなんて言われるけど、しまちゃんの人になでてもらったり、構ってもらっている様子からは想像も付きません。ノラ猫というのはどこか失礼な感じがします。

そもそも、ノラ猫という言葉キライです。好んで「野良」でいるわけではなく、元来人間の無責任で捨てられたり、理不尽な理由で裏切られたりと、そういった複雑な状態である事が大抵だと思います。それを、人間の都合で「野良」扱いするのは人の傲慢から出た身勝手なレッテルです。
でも、しまちゃんはそんな事はお構いなし。そんな暢気なしまちゃんを見ると、漱石の「私の個人主義」じゃないけど、「人を代表して」恐縮してしまいます。
僕は聖人君子でもなんでもないけど、やはり言葉の通じない相手を迫害するのは、理不尽に思います。ましてや同種族間の争い、いわんや侵略戦争に関しては疑念を払拭する事は到底不可能です。

自分がその夜生き抜くだけで精一杯のしまちゃんやその他のノラ猫達、そして僕ら人間にも今年、2004年には、そしてその先もずっと続く平和であたたかい春が到来して欲しいと思います。

投稿者 taku : 10:15

2003年12月17日

サム、がんばれ!

とある場所に、サムというメキシコ人が切り盛りする店がある。味はお世辞にも美味しいと言えるものではないが、まずくはない

初めてその店に入ったとき、誰も居ない店内に驚いた。外でビラを配っていたのがきっと店員だろうと思って呼び寄せる。まるで立場が逆だ。
店内に入り一通り食事をする。おかわりが自由というだけあって、食いしん坊の私の事だから人並み以上に食べる。
食事をしながら、どこか寂しげな様子な店員「サム」に声を掛けると、意外にも明るい笑顔で応対してくれた。
後で知った事だが、彼は毎日一人で切り盛りしていて、さらに話し相手も無く寂しかったそうだ。なるほど、やはり人と話たかったんだ。
翌日もサムに会いに行った。食事をするためにというわけではなく、むしろサムに会いに行くのが目的といった観がある。
1日置いてまたサムに会いに行く。元気そうだ。ただ、店内には客が余りいなかった。
サムは私を友達として認識してくれているようで、何かと世話を焼いてくれたり、飲み物サービスしてくれる。仕舞いには、会計の時にお金はいいとまで言い出す。おいおい、何を言い出すんだよ。
なぜか、そんなサムの気持ちが嬉しい反面、遠い異国に一人でやってきて、話し相手もなくただもくもくと働くその姿が雨に濡れた仔猫のようなみすぼらしい姿に見えてきてしまい、無理にでも支払いをする。いや、払わなくては彼にとっても僕にとっても良くない。
そして彼はこう言う。君は僕の友達だから、これからはずっと500円でいいよ。だから、また来て欲しい。
メキシコシティーに生まれ、LAに3年、カナダに半年、そして今日本に移り住み、不況に喘ぐ日本で何かしらの夢を掴もうとしている彼を今後も見守っていきたいと思った。

投稿者 taku : 10:15

2003年10月20日

Don't leave me alone

年に一回の恐怖の日。タテオカさんのおじさんの所に行ってきました。

タテオカさんは動物病院の先生で、うちの猫がやってきた時からお世話になっている人です。まだチビだった頃の「あいつ」を良く知っている先生で、安心です。
家の中では「にいちゃん、遊べ!」とか、「ごはん!!」って威張ってるクセに、この日はビクビクモード。
猫カゴ、そう私が勝手に呼称するのは猫用キャリーバッグを取り出すのを見たアイツは、微妙な距離をおいてこちらの様子を伺ってます。
そして、猫カゴに入れようとすると、普段遊んでいる時の10倍以上の力で入れられまいと必死に抵抗します。
やっとの思いで押し込め、外に出た途端、近所の奥さん方3人(目撃した数だけで)を、ベランダ&窓から顔を出させるくらいの大きな泣き声でわめきます。
「わおぅ!」とか、「にやおう!」など、文字で形容できないあの声は到底真似出来ない。しようとも思わない。
でもね、猫はきっと、こう叫んでました。
『僕を捨てないで。もう悪い事しない。にいちゃんの机の物も落とさない。夜中に突然噛み付いたりもしないし、朝の忙しい時にかまって欲しいなんていわない!』
そんな心からの叫びを聞いていると、-捨てられそうになっている猫の気持ち-を想像してしまい、居たたまれない位切なくなり、頭の中が真っ白になりました。
猫を捨てる人間に無責任なヤツだと怒る前に、捨てられてしまう猫の「悲しさと恐怖、そして孤独感」がどういうわけかその時の私の思考に畳み掛けて来ました。
タテオカさんの所で注射を打ってもらい、「猫は糖尿病に掛かりやすいから、とにかく水をがぶ飲みするようになったら注意しなさい」というありがたいお言葉まで頂戴して、その場を後にしました。
ともかく、帰って玄関に入ってすぐに猫カゴを開けると・・・。飛び出てくるんじゃないかという予想を裏切り、ゆっくり、そして何事も無かったように「ニャン」といって甘えてきてくれました。
なんだかほっとして、思わずこう言いました。
「ねっ。ちゃんと帰ってきたでしょ? お前を捨てたりするわけないじゃん」

投稿者 taku : 10:15

2003年10月03日

リサイクル万歳

リサイクルセンターっていうのが近所にあって、そこで掘り出し物を見つけました。デンマーク製の机です。

まあ、簡単に言えば中古。とはいえどうみても新品そのもの。傷一つないどころか、使われた形跡さえ見当たりません。
ろくな作業テーブルの無い私の部屋に、これはピッタリと思い、早速ゲット。公共団体の運営するリサイクルセンターなので、価格はまあ、はっきりいって手数料レベル。
物が溢れているからこそ、捨てるんじゃなくて、リサイクルをすると言う発想は良い事だと思います。

ただ、逆にその良心を悪用する人が出てくるのも事実。
毎日のように、業者がこうしたリサイクルセンターにトラックで乗りつけ、ただ同然で並べられている良品をかっさらってあたかも新品のように販売する事もあります。
まあ、そういう商売やっている人も、リサイクルされたような人がやってるだけに、単刀直入に批判は出来ないけど、リサイクルセンターでVolunteer的に回収した家具などを修復しているおじさん達の姿を思うとねぇ。

モノのリサイクルは沢山あるけど、ペットのリサイクルが無いのが残念。前にも書いたけども、CMで人気の小さいあの犬種が路上放置されるのもはっきりいって目に見えてます。
ペットを飼うのを、それがステータスであったり、ファッションの一部であったりと、普通に観ていても悪い意味で田舎臭い。
以前、ペットに洋服を着せて散歩しているのが変だと、自称コピーライターの人に言ったら、日本の寒い冬を服を着せないで過ごさせたせいで死んでいく犬もいるんだコノヤロウと言われました。
いや、そういう事なら、わざわざ日本に連れてくる必要ないじゃんコノヤロウ、と思ったんですが、そういう人をまともに相手にするのは、ややこしいし面倒だし、時間も無駄だったので、あっそうといっておきました。

ま、そんな事はともかく、リサイクルっていうとちょっと安っぽいイメージがあるけど、そういう気持ちじゃなくて、「モノを大切にしたい」という心がけの元で使えば全然問題ありません。愛です。そう、愛なんです。

投稿者 taku : 10:15

2003年09月17日

トリビュート月間

まだ雲の成分についてちっとも知らなかった頃の事です。
覚えたての漢字を駆使しつつ東京都の地図を見ていた私が発見した奇妙な名前の山を見つけました。
「雲取山」というのがそれです。
このコラムの読者の方なら大方予想は付くでしょうが、その山に登れば雲を掴む事が出来ると信じ、いつか大人になったら雲を取りに行こうと、友達と遠い未来の計画を立ててました。

今では大人になりましたが、未だ雲取山へは行ってません。早く実現したいものです。

今月はマーク・ボラン月間です。そういえば、アルバム・スライダーのアウトテイク盤が出たようですが、私はそれよりも映像の方が見たいです。
せっかくDVDプレイヤーを入手したのに、ちっともT.REX関連のDVDが出てこないのが残念でなりません。

先ほど雲の話をしましたが、ボランは既に雲の上の人です。きっと白鳥に乗って世界中を旅しているでしょうから、捜すのも一苦労です。ミッキーは無事にマークに会えたでしょうか。

ファンによるT.REXのベスト盤を作る企画が徐行運転ながらも進行中です。
初めてこのサイトに来たと言う人も、タヌキの画像を検索してたどり着いたと言う別方向からの方も、どうぞご参加ください。

さらに、当サイト常連のozonさんより素敵なトリビュートワークスを頂いたので、そちらもどうぞご覧下さい。

投稿者 taku : 00:15

2003年08月26日

心で感じた夏

さて、今夏はさっぱりのようで、何がさっぱりかというと折角の行楽シーズンも異常気象、テロやSARSの心配など外的要因からくる奇矯な夏だったという事。
花火大会も相次ぐ中止でさっぱり。海に至っては、ようやく暑くなってきた今頃は、すでにクラゲの独壇場。

逆にこの冷夏は、うちの猫にとって「有り難い夏[本人談]」)だったようで、電力会社の不祥事から来た電力不足がクーラーを自粛する企業を増やし、都会の気温を下げた(かも知れない)おかげでノラ達も快適に過ごせたと思う。

ところで、夏の風物詩って何?

色んなブームが水泡のように浮き上がりはじけ飛ぶ。勿体無いようなそうでないようなそんなブームに振り回される事で夏の思い出が出来たりもする。良くも悪くも「その時の」風物詩がそこに存在する。

ただ、そうは言っても、ずっと昔から変わらず日本人の心の中に息吹きつづけている風物詩がある。うちわだ。
うちわで扇げば、その分エネルギーを消費するし疲れるはずなのに、なぜかヒートアップした体温を劇的に下げたように感じる。
飾ってあるだけでも、そこから心地よい風が吹いてくる。
そんな心持ちがある。
大した物ではないはずなのに、それだけで「ああ夏だ」と思わせる威力は絶大だ。

行楽だけが夏ではない。ほんのちょっとした小物、例えば風鈴や蝉の声。なんでもない、むしろ、身近な所に思い出と共に心を和ませる夏があるんだと思う。
今年の夏は、そういった心で感じる夏を思う存分堪能出来たように思うが、皆さんはどうでしたでしょうか。

投稿者 taku : 10:15

2003年08月15日

夜道の眼鏡探し

明確な梅雨明けもないまま、もはや例年の約束事のように訪れる異常気象。

梅雨前線の停滞が日本経済の現状を投影したかのようで、奇妙な暗雲が一刻も早く澄んだ青空に移り変わってくれる事を切に願います。

とはいえ、悪い事ばかりではないのです。来月はMarc Bolanの誕生月。各地でトリビュート・イベントやライブが行なわれるでしょう。

話は変わりますが、きょうほど、自分の視力が悪い事にうんざりした事はありません。幸い大した事件ではなかったから良かったんですけどね。
夜、閉店30分前のスーパーへ買い物に出かける途中、傘を差しながら自転車にのっていたら、ふとした拍子で傘が飛びそうになると同時にバランスを崩しそうになりました。
転倒の危機こそ免れたんですけど、顔面を掠った傘の先端が勢い良く眼鏡を吹き飛ばしたのには閉口どころではないです。
夜道の、しかも濡れた路面の何処かへ消え去った眼鏡を裸眼で探す事なんで不可能に近く、それでも眼鏡がないとけんのんだから急いで探す事に。
幸運な事に向こうから人がやってきたので、一緒に眼鏡を探してくれるように頼むと、快く引き受けてくれた上、丁寧に探してくれました。
這うように探した結果、ようやく見付かったのですが、それまでの間の時間がどれだけ長く感じた事か!
もし、このコラムを見ていたら、改めてお礼を言います。ありがとう。

しかし、よくもまあ、見ず知らずの人に探させて者だと改めて感心しつつ、そんなエピソードを聞いたあなたの呆れ顔を思い浮かべる夏の夜のひと時は、アイスコーヒーがやけにうまいです。

投稿者 taku : 10:15

2003年07月28日

オアシスへ行こうか

夏の休日。これといった予定の無い日はとりあえず図書館に行く事がある。読みたい本があるわけでもなく、ただ其処に足を運ぶ事で、
知的好奇心を満たすだけの何かを期待しているのかもしれない。
本棚を呆然と眺めるのが好きだ。

いくつもの主張や意見が神経質に意見を交換しているように見えてくる。中には相反する主張が向かい合って火花を散らしている事すらある。
足元の方でひっそりと、こちらの様子を伺う大型図書があると、タイトルも見ずに手にとってみる。大概、写真や図鑑の類で、地図などもその類の一つだ。
テーブルが空いていれば、世界地図をいくつか持ち運び想像旅行に出る。前に行った場所を追いかけたり、適当に開いたページの地域を眺めてみたり。
高校の図書館には大学と同じくらい濃い内容の本がいくつかあった。およそ受験には関係のないコーラン(しかも大正15年の代物!)や、篠山紀信のヌード写真集、インド哲学全集など。月並みではあるが漱石全集も綺麗なまま置かれていた。読破した。

公立の図書館に通い続けるうちに、誰の手にも触れる事無く同じ場所で鎮座している本がある事に気付く。
タイトルだけは親密だが内容を知らない本と目が合うたびに、どこか気まずい心持になったりもする。
ある時、いつものルートで館内を徘徊していると、いつも定位置にあるはずの「あの本」が貸し出し中になっているのを発見する。長い間、誰の手にも取られる事無く、背表紙だけの存在が、
誰かの家に今あるのだと思うと妙な心持になる。どんな人が借りていったのか、ちゃんと読んでいるのか。ちゃんと期限以内に戻るのか。

ある程度借りる本が決まると、次に月刊誌コーナーでしばし休憩しようと場所を探す。ソファーは心地よい。心地よいと眠くなる。寝ている人は当然移動しない。まるで地蔵だ。
まあ、その地蔵達の気持ちも判らないでもない。
ただ、鼾地蔵は妙に目立つ。クーラーの効いた自宅で地蔵然とするのは文句の与得る範囲ではない。移動図書館はあっても移動地蔵は恐らく図書館でのみ拝見せらるる妙景だ。
なんだか可笑しくなってくる反面、どうにかしてどいてもらいたいという気持ちになってくる。そのうち自分に魔法が使えたらと怪しげな思考となり、それも飽きる頃にはどこかしら場所が空く。
図書館はオアシスでもある一方、一種の阿片窟のようなものだ。自分としては、前者の方の利用者になるよう心がけようと思う。

投稿者 taku : 10:15

2003年07月18日

ネコの爪磨ぎボックス

某安売り量販店のチラシにネコの爪磨ぎBOXというのがあって、それを試しに買ってみる事に。
値段は600円程度。インテリアの一つしておくくらいの気持ちがないと、万が一うちのニャンがお気に召さなかった場合、ブルーになってしまう。

ダンボール製のその箱は組み立てに5分程度時間を割かれる反面、小学生の図画工作の授業を思います。さして難しくも無くさりとて簡単すぎず、楽しい時間を費やせる。
で、さっそく組み立て済みの箱をしかるべき場所に設置し、ネコを呼んでみるが聞こえないのか無視しているだけなのかやってこない。
まあ、ネコっていうのはそんなものだっていうのを4年を掛けて熟知しているから別に無視されたショックは以前ほど感じない。
箱の中にはやはりダンボール製の爪磨ぎが入っている。自分の爪でも磨いで見るかとネコがやるようにガリガリしてみたが、あまり効果は無い。
ネコ専用のため、やはり人間には不向きなのだろうか。

そうこう余り生産性のない事をやっているうちに、頭の後ろからうにゃあという寝ぼけた声が聞こえる。ガリガリが聞こえたのだろう。
見慣れない不思議な箱を見た途端、幽霊が消えるかのごとくすーと箱の中に入ってしまった。
さて、ガリガリするかと期待を胸にじっと観察してみる。
しっぽをゆらゆらゆっくり動かしながらそのまま眠る。

翌日、夜のうちにガリガリしていたかもしれないので確認のために箱の中をのぞくが、その形跡は一切ない。
その日の夕方、帰宅した私を待ち構えいたニャンは、私の足によじ登りズボンの表面をガリガリ。
ガリガリしたいことはしたいが、私のズボンの方がお気に入りのようで、おかげでズボンは妙な味が出てきてしまった。
結局、先日買ったあの製品は、ただの箱となった事は言うまでもない。

投稿者 taku : 10:15

2003年07月10日

はにかんだ

ふと思ったダジャレ。
恋人がはにかんだ、というのも浮かんだが、説明のある苦しさに満ち溢れているから却下。
上2つとも何言ってんのかわかんない、という人の方が多いと思うので、この話はここでお終い。

ドンキホーテという安売りを謳っている店がある。
確かに、製品その物がチープなものは相応に安い。強烈にマニアックなものが激安で売られていたりもする。
ただ、全体的にはそれほど安くないというイメージの方が強い。

ただ、一つだけ「あんまり安いとは思わない」イメージを払拭したものがあった。
洋楽の輸入盤DVD。
見慣れない言語で表記されているものだから、その輸入元を疑問に思い手に取ると、イタリアらしい。
結構へんてこりんなルートだと感心しつつ、しばし物色。
飽きたところで、その周辺の陳列棚を眺めながら移動すると、他の客とニアミス。
余りにも狭い店内。満員電車のような緊迫感が頭を過ぎる。
緊張感を押し殺し、狭い通路から脱出する瞬間、目前に淫靡なパラダイスが拡がる。

堂々と陳列されたそれらの前には若い女性が入念に品定めをしていた。
しかし、いつでも混んでいるレジに、みちのく土産を持っていく勇気はどこから湧き出るのか。ある意味羨ましい。

続いてお菓子売り場に移動。その間にもごちゃごちゃと多様な商品が目に飛び込んできたが、さっきのインパクトにはどれも風前の塵である。
駄菓子屋で売られていた懐かしい匂いが心の中に染み込んでくる気がしたが、残念。その値段に俄かに沸き起こったノスタルジーを一蹴される。
「うまい棒」が30本入りで298円。税別。
駄菓子屋で買った方が安いはずだが?
いくつもの疑問を払拭出来ずに、何も買わないまま店を背にし、どこか悶々とした心持ちで自転車で颯爽と風を切った。

投稿者 taku : 09:56

2003年07月01日

落ちてる切符

自動改札がメジャーになる前の駅構内って、なぜか落ちている切符が目立っていたように思います。
買いたてほやほやの切符から、1,2日前のもの、無数の足跡で切符としての存在を失いかけているものなど、
意図的に捨てられたというよりも、自然と転がっている風に見えていた切符達。

小学生の頃は、そうした切符の中から綺麗なものを拾ったりして「切符で廻る沿線制覇」なんかをやっていたものです。
しかし、この頃は自動改札がきちんと回収してしまうので落し物っぽい切符程度しか目にする事が出来なくなりました。
マナーの良し悪しに関わらず、効率的に切符自身の放浪の旅が防がれているんです。

ところで、マナーと言えば、特にWEBサイトのBBS・・・。
質問なり言いたいことなりを書き散らかして帰っちゃう人とか結構目立ちますね。
普段の日常生活でもいい加減な人間なのでしょうか。もし違っていたらそれはそれでむかつきますよ(笑)
幸いこのサイトのBBSにはたまにある程度ですから、アレですけど。
話を戻して、切符。
実はその昔は切符の収集癖があって、これはきっと趣味とは違ってまさに「クセ」なんだと今思うとそう感じるんですけど、
20年とか、30年前の切符を見るとそこから必然とドラマが湧き出てきます。
特に、硬券。これは今の切符みたいに薄っぺらいヤツじゃなくて、これぞ切符!といった味わいを感じます。
硬券の中でも、急行列車(特急じゃなくて)のヤツが好きです。
JRの急行、最近は激減してしまっているから余計にそのノスタルジーに浸らされるのかも知れません。

さてと、昔、友達のお父さんからもらった硬券でも眺めて旅情気分でも味わっちゃおっと!

投稿者 taku : 00:00

2003年06月19日

君は何を見てるの?

毎晩、私の部屋へやってきては、何かを待っている真夜中猫。
何を待っているかは、大体想像付くんだけど、それにしても、窓枠をタムに見た立て、シッポをスティック代わりに、
あの「デュオ」の奏でる音楽のようなリズムを刻んで、眠りから覚まさせてくれます。

別の窓の直ぐ側には街灯があるんですが、その街灯がある種の間接照明のような明るさで部屋を照らしてくれるものだから、
時折、こちらをのぞく猫の目が、街灯の光を反射してキラッとするのが、
ちょっと恐かったりもします。
それでも、ぼんやりとした黒猫特有のシルエットは、ホタルのおだやかな光のようでもあり、
肩を撫でる高原の風のようなやわらかさでもあり、
その心地よい姿に酔いしているうちに眠りについてしまいます。

先日、それは満月の光が部屋の中にすうと入って来る穏やかの夜だったのですが、
時折うにゃうにゃ言いながらシッポをペタンペタンしていたので、何か居るのかと外を猫の背中越しに見てみると、
たまに見かける白いニャン子が、私の真横でウニャウニャ言っている彼を見つめてました。
ひょっとして恋の予感?
ちょっと羨ましいやら、嬉しいやら、複雑な気分でしたが、毎晩窓辺の猫を自らを以って任じている彼の行動の意味が理解出来たのは言うまでもありません。

そういう、若かりし日の青春のような、ほんのり苦いキスの味・・・ってニコチンの味じゃないか!っていうツッコミはまあ置いときまして、
例えるならShakespeareの戯曲のような、あるいは夢だけに出てくる恋人のような、そんな切ない雰囲気すら感じてしまいます。
というのも、うちの猫はイエネコで外に出さない、いわんや出しても這いつくばってしまって動けなくなるような内弁慶ネコなので、
それに、去勢済みなので残念ならがメイク・ラブまでは辿り着けないんです。
ちょっと可哀想な気もするし、自分だったらかなりブルーになるんですが、本人は余りその辺は深く考えてないようなので何よりな今日この頃であったりなかったり。

投稿者 taku : 00:00

2003年06月13日

20分ちょっと

20分ちょっとで行く事が出来るトコロが最近のお気に入り。
電車やバス、自転車に徒歩、そして車。

あらゆる乗り物を利用したとしても、とにかく20分くらい。これが理想。
これといったカッコイイ意味はないが、ただ単にLP片面の長さくらいだからっていうそれだけの理由。
20分ぴったりに制限しているわけでもないし、そこからさらに20分掛けてまた別の場所に行ったり。

帰りは出来るだけ、往路と違うルートがいい。
LPにA面とB面の違いがあるように。
LPって、A面には「A面としての」味があるし、B面には「隠れた名曲」が潜んでいることが多い。
なんとなく、そういった風情を楽しんでいるんだと思う。

小学生の頃はBEATLESのLPをそれこそ擦り切れる位、毎日飽きもせずに聴いていた。
お気に入りの曲はLPを流しながら、覚えたてのラジカセ録音を利用して自分でも歌ってみたり。
子供は耳から入ってきたまんま覚えるから今よりもずっと発音が良かったりする。
今となぜ比較ができるかと言うと、そのカセットがいまだに残っているから。

小学生でBee Geesが好きだなんて言っても周りの頃は誰も相手にしてくれなかったし、ましてやRoxy MusicのAVALONが好きだなんて言った所で、
わけわかんない事言ってるって言われてむしろいじめられたし。
しかし、あの頃の仲間は今頃キリンのビールでも飲みながら、しみじみとボブ・ジェームズを語り合っていたりして。

・・・ってそんな回顧録を今頃になって語ったところで「覚えてない」の一言で払拭されてそうだなぁ。
オトナって恐い(笑)
以上20分くらいで書き終わってみるテスト

残りは、デキルだけニュース。

投稿者 taku : 00:00

2003年05月22日

ちょっとした裏技?

たま~に中古RECORD&CD専門店で売られている中古のT.REXのアルバム。財布の中身が心細い私にとっては、あぁ、ビル・ゲイツだったら今すぐにでもこのCDを買ってそのついでにELOとかByrdsとか、ついでにKINKSも欲しいし、そうなるとあれもこれも・・・

でもさっきからUKばっかりだなあ、じゃあguess whoはカナダって事で取り入れて、ポルナレフもベスト盤しか持ってないから初期のアルバム聞きたいし、そしたら、エルコンドルパッソは・・・これはいいや、David Bowieのロジャーは持っていたからいいか、とするとなんだ、ビートルズの東芝EMI盤全部揃えて、そしてあぁ何でもいいから、この店をひっくるめて買ってしまおう!
なんていう妄想がふくらんでいってしまいにはパチンッって大きな音がしてさ、
心の中で激しく「はっ!」って声をだして、我に返った時にはなんだか空しい気分になっていたりするのです。
特に、80年代のSMS盤とか90年代初頭のテイチク版なんかはモノによってはプレミア価格になっているのがショッキングだったりします。高いのはいやです。

でも、そんなプレミア価格のレアなCD、貧乏人泣かせの中古CD専門店キラーを発見。なななななんと!近所のBOOK OFFでした。
なんだか、普通に\1,000とかそんな価格でレアリティーズとかマークショウとか売られているし、びっくりしたのが未開封のやつまでもがある。

こ、これってヤフーオークションで3000円とかで出品されてたよなぁというのとか、昔散々探し回って結局見付からなかったやつが、なんか飄然とこのコーナーにやってきたという顔をして置かれてます。
結構びっくりしたんですが、これはたまたまこの店舗だけなんだと思いつつも、同じ日に「ほぼ偶然」別の店舗で似たようなラインナップを見た日にゃ、こりゃあれだ、なんだ、専門店泣かせの消費者の味方だなんて、
都合の良い場合は自分の味方にする訳です。ほんと、消費者っていうのは都合がいいですよね。多摩川に現われたアザラシには「たまちやん」だなんて名づけて、人里に現われたクマちゃん(きっと名前はプーさん)には、
ズドンっ!って訛りのあるおっちゃんが鉛のタマをブチ込んでおいてすっきりおすまし8x4(エイトフォー)

結局何が言いたいかというと、専門店に行く前にどうでも良さそうな普通の店に言ってみたり、このサイトのBBSをこまめにチェックしてみたり、ついでに書き込みしたり、気付いたら自分の日記を書いていることに気付いて恥かしくなってみたりするのもいいと思います。

投稿者 taku : 00:00

2003年05月15日

ネコだってくしゃみするわい

安定な季節のせいでしょうか。我が家の黒猫さんがくしゃみを連発しておられました。そのうちの一つ二つは私の顔面に直撃。
ひょっとして「風邪ひいたの?」なんてまるで子供に話し掛けるようにとても気を使ってしまいます。

確かに、晴れたり雨が降ったりという天候だから人間の私でも体調を崩してしまうほどなので、幾ら真黒な毛で覆われているとはいえ、くしゃみくらい当然かも知れません。
ネコは人間のようにくしゃみをする時に手で覆うといった気遣いは出来ません。人間でも手で覆うことすら間に合わないくらいのクシャミで周囲のヒンシュクをかう事もあるくらいですしね。

そこで、検索サイトにて「くしゃみのメカニズム」を投げてみた結果、テレビ番組の「スパスパ人間学」のサイトで紹介されておりました。
番組で紹介した内容をその画面を添えて説明しているとても良心的な番組だなぁって、そう感じませんか?

では、その番組サイトで勉強した結果から考えてみると我が家にホコリが多いって事になりますね。そんな事はないはずなのですが、床を注意深く見てみると意外な発見。掃除したての床でさえもネコの毛がちらほら見受けられます。
そうか、うちの猫は自分の抜け毛でくしゃみしてやがったんだな、コイツ。

ま、でもかわいいもんです、ネコは。寝ている姿を見ていても、やんちゃに飛び掛って来ても、寝ている時に声を掛けると顔を両手で「うにゃ」って覆うときも、そりゃもう何したってオッケーです。

ネコや犬と一緒に暮らしている人は、今の季節同じように大変なんだろうなぁって思いながらネコのブラッシングを掛けている、そんな平和な時間を与えてくれた神様ありがとう。

投稿者 taku : 00:00

2003年04月18日

遺跡探索のすすめ

先人達が築いた資産の目視とその周囲の大地を踏みしめる体感で得られる喜びは、それを趣味としない私のような凡人にもじわじわと伝わってくる。

例えて身近な所では川沿いの桜並木、街道沿いのケヤキ並木。建造物だと神社仏閣の類から廃墟と化した城跡や古墳等。
特に私が興味を惹かれるのは、今となってはそれが何のために存在していたのかわからないような遺跡であったり、偶然見つけた文人たちの住居だったり。
その場所でそこから派生してくる空想を楽しむ時間そのものが快適に感じられる一瞬でもある。

そうした快適な空間の中でも、イングランド北部ダービー州(Derbyshire)で国立公園に指定されたPeak District地区の中にあるPeveril castleという城跡
(写真1) 付近は、大自然と人間の格闘の末出来上がった物語のような風景が続く爽快な場所である。
(写真2)
指輪物語の世界を感じさせる長閑な田園風景と対立するような切立った崖。 (写真3)

人が自然を支配していた痕跡、そう、自然は人間に支配されたかのように見えて支配されているのは人間の方なのだとその時強く思った。
地震の多い日本では木造建築が主である。切り出した木材も生き続けているからこそ、今でも多くの貴重とされる木造建築が残っている。
自然の力を借りなくては例え万能であると息巻いても結局は自然の中の一つの生物なんだと感ぜざるを得ない。

戦争によって失われる人間の生命もまた自然界の財産である。安易に戦争を起こしているようにしか思えない昨今の挙動に、大自然の神が怒りの雷鳴を落すのは遠い先の話では無いかも知れない。
先見だけに頼らず、温故知新という知恵を人は失いつつあるのではないだろうか?
そう、にわかに思えてくる。

投稿者 taku : 00:00

2003年04月04日

クレープ作りに挑戦

テレビの料理番組でクレープを作っているのを見て自分も作ろうと、普段は路肩の巨岩の如く重い腰も食欲に関係することならフェザーの如く軽く空に舞い上がり気付いた時には台所で卵なんぞ割ってみたりしていました。
この軽率な興味は合計2日間続く事になったのですが、まず1日目はパンケーキの素を使ってクレープ作りに挑戦です。

グラニュー糖が最初から入っているせいか、粉自体が多少甘味を帯びているのでデザートクレープになりそうな予感。この予感は見事に的中し、皿の上に置かれたものはクレープともパンケーキともつかない得体の知れないものになってました。
クレープの本場フランスではそば粉を使うそうで、その中に肉やらチーズやらきのこなんぞを詰め込んで食すのが本式とされているんですね。
それで、真似てみようとしたけども粉違いのせいにして挫折。初日っていうのはまあこんなもんです。
ペンザンスに行ったとき、パブで地元の漁師から聞いた話では、コーンウォール周辺はフランスからの移民が多いらしく食文化もその影響を受けているそうなんです。
なぜペンザンスの話が出たかというと、ここで食べたパスティをクレープに挑戦している最中、味や形が似ていると思ったからなんです。
パイ生地に肉やジャガイモのスライスなどを包んで貝殻のような形にてオーブンで焼く簡単なこの料理、パスティは、まるで日本の手作りコロッケのような味で、日本人の口にぴったり。
以前、フランス風の家庭料理を食べさせてくれる店でそば粉のクレープを食べたけど、こちらは室内で食べるクレープ、パスティはお弁当感覚のパイ。そんな印象があります。
生地の違いで食す場所は変るけど味に関しては類似していると思います。

2日目。家には薄力粉しかなかったので、塩・卵・水を適量加えてミックス。
溶かしたバターも練りこんでそれらしい生地になったところでフライパンで薄く引き延ばし完成。
しかし、完成したのはいいけど中に詰めるものを用意してなかったので、結局デザートクレープとして食べる羽目になりました。
花見の時にでも再度挑戦してピクニックしようかな。

投稿者 taku : 00:00

2003年03月12日

楽しい貧乏

近頃別サイトの方に力を注いでしまっている今日この頃。

そんな言い訳はおいといて。

貧乏な生活は慣れてしまうとちっとも辛いと思わなくなってしまう。むしろ、貧乏な時期の方が楽しいし、周りのことによ~く気が付く。

しかし、遠く離れた場所でバンバンが始まるってのに、うちの猫は何食わぬ顔して寝てるんだな、これが。
平和だなぁ、幸福だなぁ、争わなくても良いんだなぁって思う瞬間って踏みつけられそうなところで勝手にゴロゴロごきげんちゃん状態で寝ている猫の寝顔を見ながらそのひげをちょいちょいって触って見ると「んにゃっふーん」って嫌がりながらもゴロニャンってひっくり返って手足をもぞもぞさせるのを見てかわいい~でもそんな猫をかわいいなぁなんて思っている自分はやばいんじゃないかなぁって気づいたまさにその時なんですが、皆さんいかがお過ごし?

しかし前にも言ったけど、ドイツの国民と政府っていうのは本当に民主主義をまっとうしているから羨ましいです。ロンドンの中華レストランでドイツ人の母子と相席になりつい食事を忘れて小一時間程お話に花がまろやかに咲いた時に思ったのは、やっぱりドイツ人と日本人は考え方が近いのかなぁということ。
第2次大戦でそれぞれ侵略側としてそしてやがては敗戦国家としての道のり、戦後の復興にかけた意気込みなど、大義での共通点がある。
しかし、絶対的に異なる点っつうのがあって、それはまあ言ってみればベルリンの壁崩壊に至るまでの東西ドイツ分裂の時間。米ソの冷戦に巻き込まれ苦渋を強いられていた彼らの自由は、壁による家族の分断が取り除かれてやっと自由を取り戻す事ができたその経緯とそうした環境を反映した国民の心構え。これが決定的に違うと思う。
戦後、すんなりと驚くべき経済復興・・・まあ、これも見せかけっていう意見もあるけど狭義な見方は今は必要がないからポイしておくが、スムーズに豊かになり国家も順調に建て直された国に生活する日本国民と彼らが養っている日本政府の考え方の違い、それらの包括的な倫理は、同じ時代を過ごしたドイツと比較するとその内面からして異なっている。 良し悪しが問題ではなく、つまりは現状が問題なのである。 Khrushchyovの時代には考えられなかった事がご存知ペレストロイカ政策を遂行したGorbachjovはやってのけた。確実に世界は平和への一途を辿ると思った。しかし、実際には冷戦でのバランス崩壊によって行き場のなくなったアメリカの軍事力はテロ国家というレッテルを貼り付けるために中東地域に目を向けた。

正義には悪が必要である。

しかし、そんなでっちあげの不条理のあぽんたんな思想を企てる強大なる危険国家の存在などちっとも気にせずにきっと夢でもみているであろう猫を見るのは、どんなに貧乏でも幸せである。
貧困な地域に生まれなかった猫と自分は幸せなんだなと思うのがここ最近の考えである。

投稿者 taku : 00:00

2003年02月23日

途方もなく無駄な思考

宇宙には一体いくつの恒星があるのだろうか。
地球のような惑星が成立する可能性はどのくらいの率なのだろうか。そして炭素を母体とした生命体が文明社会を営む確立は・・・
隕石の衝突と地球環境の変化について研究している方から興味深い話を聞いた。炭素と珪素は似ているから、ひょっとすると珪素が主体の生命体もあるかも知れんと。

NASAやコロンビア大学で研究をしていた某氏も、地球という存在が非常に稀なものだそうだと言ってレア・アースという本を紹介してくれた。
ますます地球という存在そして自分という存在が不思議になってくる。デカルトはcogito, ergo sumと言って自我に存在を許可した。
ある意味合理的な思考ではあるが自我の存在が他の存在を説明するに足らんと考えられる。そもそも自我の存在は自我の中でしか完結しない。
こうして自己意外の対象に対して意見している事から自我の中では外界の存在を認めている事になるが、疑問がある間はいわんや永遠に解決しない問題となる。
解決しない事に帰着を求めるのもある種合理的な考えかも知れない。
ここまで考えておいて考える事が面倒になる。決着しない事を考えるのは無駄だと判断したのだろう。牡蠣的主人にさえ至らないと嘆くべきだろう。
相対性理論とかそういうのは良くわからないが、時間は曲がるそうだ。光は重力によって曲げられているそうだ。ますます理解の範囲に届かなくなる。
時間が曲がったり光が吸い寄せられたり平然と言及する科学者の脳に神秘を感じてしまう。
何も考えずただ楽しい事ばかりやっている方がよほど幸せだと思うが、それが出来ない。小石につまずくとそのまま電柱に頭を接着し均衡を崩した後往来の人に迷惑を掛ける。
どうでもいい、無駄な思考であると了解していてもつい考えているうちに気が付くと眠くなる。明朝になればまた別の事を考えてまた眠くなるのだろう。気楽なものだ。

投稿者 taku : 00:00

2003年02月13日

散文散歩

Bee Geesだったり、Led Zeppelinだったり。David Bowieも初期の頃の作品が大好きな時代があったし、The Whoもそうだなぁ。全体的にU.K.系が多いような気がする。 ZZ TOPやTHE GUESS WHOはアメリカやカナダのバンドだけど。VAN HALENなんてアメリカンだよね。

Brian Adamsは高校の頃友達から貰ったテープで何度も聴いていたし。マイケルジャクソンは今でも好き。ブラーよりはINCUBUSの方が好きでね、NIRVANAは徹夜で友達とビデオみたり演ったりしたよね。小学生の頃はElton JohnとBilly Joelの区別が付かなかったけど、JohnとPaulの区別は付いていたから不思議だよなぁ。 Laynnard SkynnardはFENで毎日のように掛かっていたっけ。ラジオ講座が終わった後にFENで英語の勉強と称してclassic rockが掛かるのワクワクして待っていた。 classicって古いって言う意味じゃないって知らない人、結構いるでしょ。辞書引けばわかるけど、基本とか基礎とか、あと典型って意味なんだよね。だから、classic rockは典型的なrockって事。 FENはお世話になったな。今じゃAFNに名称が変わったけど、俺にとってはFEN。フェンだなんて発音するのはオヤジの世代。エフイーエヌでいいの。生意気だって? じゃ、USAはうさ。吉祥寺のPenny Laneってあるでしょ。愛知県とか高知とか愛媛とか鳥取から見てる人はキッショウジって読むのかな。関係ないか。天台宗だときっしょうかな。どうでもいいね。ちなみに、真如堂には先祖のお墓があるし、自分もそこに行く予定。だから観光客はいなくなって欲しい。 Queen's Rideっていうからよっぽど立派な小道だと思ったら、そうでもなかった。ブラック・ベリーが左右に実っていたから、それは食べた。美味しかった。 Glossopで同じ事やった。Howardは僕がよっぽどお腹が空いているんだと思ったみたいで、気の毒そうな顔をしていた。ちがうんだよ、日本、とりわけ東京じゃ道端にブラックベリーなんて実っちゃいないんだよ。

投稿者 taku : 00:00

2003年01月29日

よっちゃん

よっちゃんは弱虫だからって理由でついたあだ名なんじゃなくて、陽が暮れると決まってよっちゃんのお母さんがベランダの上から大声で呼んでいたから、だから僕らはいつしか「よっちゃん」と呼んでいた。

ただ、そんなあだ名のせいだったのか、よっちゃんのお母さんの先見の明によるものなのか、よっちゃんは人一倍弱虫だったし、ちっとも大した事じゃなくても、例えばナメクジを顔の前にわっと突き出しただけでも、顔中真っ赤にして泣いてしまう。

鬼ごっこでも、かくれんぼでも。
じゃんけんでは殆ど負けた事がないよっちゃん。
でも、捕まったり見つかったりすると決まってよっちゃんはスネて「いちぬ~けた!」といって皆を困らせる。
そのくせそのままみんなで楽しく遊んでいると、いつの間にか家に帰っていて、ベランダから大声でわんわん泣き始める。子供ながらに性質が悪いなぁって思っていた。

最近、よっちゃんみたいな大人が多いと思う。あの人はきっと子供の時よっちゃん見たいな人だったんだなぁっていう人をいつの間にか指で数えている時もある。
国全体がよっちゃんだったりするともっと困ってしまう。正義感溢れているよっちゃん程性質の悪い人はいない。

選挙があるたびにいつも思うのが、どうして後になって不平に思ったり文句を言ったりする人に投票するんだろうって。
日本の政治が崩壊してしまったままなのを政治家のせいにしている人が多い。政治家自身も自分達がマヌケだったと開き直っている。でも、そうじゃない。政治家を選んでいるその他多くの国民に問題がある。
不景気なのを政治のせいにするのは違うと思う。確かに政治のせいかもしれないが、まずは政治のせいにするんじゃなくて、彼らを選ぶ自分達に問題があるって事を先に認知して欲しい。

中学生になったよっちゃんは昔のわがままなよっちゃんじゃなくなっていた。きっと、今では立派な大人になっていると思う。"あの"よっちゃんの方が余程立派に思えてきた。

投稿者 taku : 00:00

2003年01月09日

ネコの引越し(2)

住み慣れた家を離れてから半月が経ち、年越しも無事に済んだ。

大晦日、しきりに「ああでもないこうでもない」と荷物を動かし、ただ自分が寝る為の空間の確保に閉口する兄ちゃんを観察して楽む。

じきに、兄ちゃんは除夜の鐘と同時に布団に入る。傍らに、兄ちゃん愛用のひざ掛けが僕のベッドとして置かれていた。
僕は、別の部屋でお正月の朝を迎えた。
兄ちゃんは元旦から、ああでもないこうでもないと荷物に話し掛ける。僕が家の中でも探検すればそんなにくさくさすることも無かろうと、半ば強引に誘い、家の中を探検する。
この家にはまだ入った事が無い場所も沢山ある。タンスの裏、積み重ねられたダンボールの隙間など。特にこの隙間に限っては日替わりで位置が変わる厄介ものだ。何が飛び出すかわからない。息を殺し細心の注意を払う。
人間は不便な事に退化した生物であるから、猫並とはいかない。身体が固く低身姿勢で進めない。尻尾の欠如でバランス感覚も猫に劣る。雀も鼠も捕まえられない。
この1週間程の間、かような兄ちゃんを鍛える如く、家の中のパトロールに連れ出す。多少の足手まといではあるが、こちらとしては猫の手でも借りたいくらい忙しい。
まずは、下駄箱周辺の確認。鼠がいれば大収穫だ。続いての廊下をさっと通りリビングにて腹ごなし。腹が減っては鼠も捕れぬ。僕が尊敬する大先輩、そう、彼は苦弥味君と同居していたかの有名な先輩である。先輩はカラスの勘九郎に閉口していたと聞くが、僕が一声上げればカラスも逃げていく。
一旦廊下に戻り階段を上っていき、2階を隈なく確認したところで終了となる。その後は、兄ちゃんの部屋の窓から見える電線にて羽を休めるハトにちょっかいを出して遊ぶ。兄ちゃんはいつの間にかどこかに行ってしまっている。

今年の兄ちゃんは年賀状を出さないという。兄ちゃんはここ何年か、干支とは全く係わり合いの無い僕を引き合いにだした年賀状を作っていたが、今年はやめにしたそうだ。理由を聞くと拍子抜けする。ただ買い忘れたそうだ。それなら今からでも間に合うと催促したが、この場で挨拶したんだという始末である。風情の欠片も無い不憫な世の中になったものだ。

投稿者 taku : 00:00

2003年01月01日

ネコの引越し

やっとというべきか、あっという間というべきか。

このところ、ざわざわとした雰囲気だったから、ゆっくり寝る事も出来なかったし、食べる事も出来なかった。トイレに行きたくても、しょっちゅうトイレの場所が変わるから並行した。おかげで500グラムも体重が減ってしまった。

人間の勝手で住み慣れた場所を離れ、未知の場所で生活を強いられるだなんて本当に辛い。

引越しの当日。
がやがやと見た事もない人が家の中に入ってきて、本当に恐かった。最初、窓辺のカーテンの後ろに隠れていたのだが、そのカーテンも敬愛する兄ちゃんによって取り払われてしまい、その上、「開けっ放しのドアから逃げるといけない」からといって、僕は押入れに閉じ込められてしまった。その間もずっとドタドタと騒がしかった。
しばらくすると、家の中はすっかり変わってしまい、いつも潜っていてたテーブルもなくなっていた。一体何が起こったのかさっぱり判らなかった。

外が真っ暗になってから、僕はカバンの中に閉じ込められて外に連れて行かれた。大嫌いな病院に行く時よりも、ずっと長い時間そのカバンの中に入っていたから、もうへとへと。新しい家に着いたときには、暴れる気力も無かった。

家に入ってまず僕が一番最初にすべき事は、隠れ場所を探す事。ぼくはこう見えてもけっこう臆病なのだ。なんていうと、僕が弱虫だなんて思われるかもしれないけど、一応弁明しておく。かの有名な僕の知己でもあるゴルゴ13は、「臆病だからこそ今まで生きてこられた」と言っている。そう、強い男こそ臆病なのだ!

つづく

投稿者 taku : 00:00

2002年12月20日

どうでもいい話

昨日のコラムがとことん詰まらなかったのでやり直し。

タイトルの時点でどうでもいい話だなんて断っているから、余り内容に期待しないでもらいたいです。

とっても素朴な疑問なんだけど、バーとかクラブとか高級ブティックに来るレディーの人達って、とっても近付き難い感じがするし、ややもすると、ハイヒールでぽかってやられそうなくらいクールでキマっているように見えるんだけど、鼻クソほじる時はどうしてるんだろうって思う。

やっぱり一人になれる場所でやっぱりクールに脱脂綿とかを濡らしてそそってとるのか。それとも、鼻クソなんてないのか。

どうでもいい話でしょ?

これは個人的にはどうでもいい話じゃないけど、SWEETってめっちゃカッコイイ。Teenage Rampageのビデオなんてこれぞハードロックの映像!っていうまさに原点と言える作品だし、Ballroom Blitzもつい踊ってしまうくらいかっこいい。

久しぶりにでかいスピーカーでT.REXの曲を聴いたけど、やっぱいい。ラジカセのT.REXもいいけど、大音量のT.REXは格段に良かった。

そろそろ?OFF会と称してどこかのスペースで持ち寄りのCDを大音量で聞いたり、T.REXのビデオをやっぱり大画面・大音量で観るなんて事をしてみたいな。

しかし、このサイトに来てくれる人は、ほんとにあっちこっちからなので、そう簡単に集まらないか。

どうせやるなら、半日かけてもりあがっちゃうイベントにしたいしね。

ダニエルズなんか呼んでみて、生演奏をお願いするっていうのもアリかも。ま、いずれにしても、イベントに人が集まりそうだったら、マジでダニエルズを呼びたいなあ。

だれか、一緒にやりません?

投稿者 taku : 00:00

2002年12月09日

今後のコンセプト

BBSやメールで幾らかのメッセージを頂きました。
とても感謝してます。
実を言うと、新規サイトの立上げを検討してます。T.REXとは直接関係ありませんが、このサイトの中で考えたり、興味を持った事をそちらでやるつもりです。
余計な心配をお掛けしまして恐縮の至りです。

サイトの存続云々ですが、やはり、判りにくい個所もあるので、それらの補正を先決します。閉鎖はしません。

前回のような考えの発端はある考えからもたらされたものです。
Internetの普及によって、要求する情報の容易な入手が可能な反面、情報の比較検討という作業が必要となり、それは必要以上の余分な作業も含まれるのではないかという疑問が出てきます。
容易に情報を入手出来る反面、その鮮度や精度が気になる。多くの情報はこれらの性質とは無関係に、主張の多い場合があります。WEBの世界だけではなく、メディア全般に言えるでしょう。
世の中に孔子が溢れ返って、俺が孔子お前も孔子、皆孔子。漱石は明治の御世に「猫」の中で大衆が個性を主張する事で没個性となる得るという未来の日本をかく予言しました。凡そ予言の通りだと感じます。私自身もその孔子の一人でしょう。
情報を発信する側は、孔子の部分と異なる部分の均衡が必要です。この均衡の調整が難しく、時に行き詰まる事もあります。気にしなければそれまで。ですが、情報の精度は次第に怪しくなり、根拠が掴めないようになります。
こういう場合、閲覧者の立場は、数多くのWEBサイトのうちの一つとしての認識します。私にもそういう面もあります。しかし、サイトオーナーは、全てとは言えないにしても、恐らく多くはWEBサイトの在り方について考えるでしょう。サイトとは、一つの主張です。主張の表現方法一つで、全く異なるものが生まれてきます。
色々考えましたが、今後、こうした認識を私自身が持ったのを一つの機会として、ここが様々な個性が集まる場となれば良いと思いますので、これからも(ROMの人も)宜しくお願いします(^^)
次回のコラムは来週になると思いますが、日々思ったこと、考え事などこのスペースを利用してみませんか?老若男女問わず募集します。

投稿者 taku : 00:00

これぞ。気分。

摩守忠度はいづくよりか帰られたりけむ。侍五騎童一人我が身共に混甲七騎取って返し、五条の三位俊成興の宿所におはして見給へば門戸をとぢて開かず、忠度と名乗り給えば、落人帰り来たりとて、其内騒ぎあへり。

ご存知の通り、平家物語、忠度都落の冒頭である。

短歌の大家で後の千載和歌集を編纂した藤原俊成の自宅へやってきた忠度の心意気と自分の作品に対する情熱は、これぞ大和魂と賞賛したくなる。

男の浪漫というべきか。命を賭けてまで自分の作品を世の中に送り出したい、自分が喩え野山の屍をさらすようになっても、自分の作品を俊成に手渡す事がこの世に残っていた唯一の思いであった忠度の繊細な心に強く心を打たれた。

彼の詩(うた)は読み人知らずとして結果的に掲載される事となり、
それが

さゝ浪や志賀の都はあれにしを、昔ながらの山櫻かな。

である。
この詩を詠んだ忠度のロマンチックな部分はもちろんのこと、これを選んだ選者である俊成にも、男の友情のようなものを強く感じる。

そして、スコッチ片手に遠い昔の出来事を想像したくなる、そんな気分の今日この頃である。

投稿者 taku : 00:00

2002年12月02日

閉鎖?リニューアル?

TOP PAGEのリニューアルを行いました。
個人サイトの基本は自己満足。それでも、公開する以上わかり易いものに仕上げたいと思います。

私がInternetの世界を知ったのはWndows95が「発表」される前。PCの性能は携帯電話より貧弱。日本にはT.REX関連のサイトなど皆無だったし、イギリスにも無かったと思います。
それが少しずつ個人で情報を公開する人が増え始め、情報の鮮度も飛躍的に高くなりました。
今では、情報が余りにも肥大化し、情報の精度を判断する作業の方に負担が掛かっているのではないでしょうか。
T.REX(マーク・ボラン)に関する情報も、音楽系のサイトを回れば一通り閲覧する事が出来ますし、BBCのサイトにも詳細な情報が掲載されてます。
そうなると、やがてこのサイトの存在意義もなくなってしまいます。

そこで、このサイトの引退を感じたわけですが、その上でより新しいものを考えたい、そして構築したいというのが、制作者の率直な意見です。
公共の場という事を考えると、現在のようなサイトの状態は余りにも不適切でしょう。
ユーザーからのフィードバックを頼りに、より良いサイトにしたいのですが、そのフィードバックが無い以上ユーザーの立場を考えるのが容易ではなくなりました。
これは制作者の本音ですが、自分で自分のサイトを見ていても判りにくかったり。
そういう事情から大幅な見直しが必要なんだと感じるようになりました。どうせ見直すなら、一旦閉鎖してみるのも悪くないでしょうね。
ご意見頂ければ・・・くれないだろうなぁ。

投稿者 taku : 00:00

2002年11月20日

素朴な疑問

太陽はどうして夜になったら見えなくなるの?
ある小学生がこんな疑問を持ちかける。

文字にしてたったの20字。一見簡単そうな疑問だが、よくよく考えるとそうでもなくなる。
夜になるから見えなくなるのではない。見えなくなるから、夜になるのである。そこまでの理屈を説明するのは簡単だ。しかし、どうして太陽が隠れてしまうのか。なぜ地球は回転するのか。なぜ地球は太陽の軌道を周るのか。そして、なぜ太陽は熱いのか。

一つの疑問が星の数ほどの疑問を呼び、天文学者は幼い頃の疑問を長い年月を掛けて解き明かそうとしていく。たった一つの疑問から生まれた神秘的な難問を、解けるか解けないからわからぬまま、少しずつ疑問の扉を開いていく。

6500万年前に巨大隕石がキューバ沖に衝突した。恐竜の絶滅の要因となったこの衝撃は、地球上の生態系を一変するほど威力を持っていた。
爬虫類が闊歩している地球を、やがて人間によって支配されるとは、彼ら恐竜達もまさか想像もついていなかったであろう。

その時の隕石に、人間のような知的生命体の根源となるアミノ酸が付着していたかもしれないという話がある。その真意については科学技術の発展と共に次第に明らかになってくるであろうが、原始地球に生命が誕生した要因も隕石や宇宙の塵に付着していたアミノ酸であったかもしれないと考えられている。中学生の頃に習ったであろう、コアセルベートのようなものだろうか。

もしかしたら、この地球は一種の生物実験システムの一つなのかもしれない。宇宙人が生命の源となるアミノ酸を隕石に付着させて送り込んだとしたら、強ち有り得ない話でもない。
やがて、地球で誕生した生物が少しずつ進化と退廃を繰り返し、智恵を付け・・・。

生物によってその生態系は絶滅させられるのか、それとも共存の道を選択していくのか。
とてつもなく長い時間を掛けた実験だとしたら・・・

小学生の頃の疑問から、ここまで想像が脹らんでしまった秋の夜長である。

投稿者 taku : 00:00

2002年11月09日

猫の温もり

前回の続きを書きたいところですが、趣向を変えさせてください。
猫のお腹の毛はやわらかくてふわふわしていて、とっても気持ちがいいのです。仔猫になってみたくなるくらいです。
猫のお腹を触って満足している自分が情けなくなり、ふとテレビ見ているとなんだかとんでもないことが起ころうとしているのですね。
某ブッシュが大統領を務める国が古くなった武器や兵器をどうしても使い切りたいので、イラクという国に不法投棄するんだそうです。
びっくりしました。
その不法投棄を表向き合法化するために国連にお願いしたそうですが、フランスが「せめて半分くらいにしておいたら」と忠告したお陰で大量投棄にはならないかもです。
中東地域はアメリカにとってまさに宝の地域。石油は取り放題、ゴミは捨て放題、おまけに、最新鋭の主力戦闘機の「プロモーションビデオ作成」の舞台!
何もかもが実現出来る夢の地域なんだそうです。
プロモーションビデオの内容次第で、日本とかイギリスとか、イスラエル、カナダなどなどなどなど、いろんな国が買ってくれるって挙手するもんだから、はりきっちゃってます。
でもね、日本だってアメリカが戦争して欲しいみたい。というのは、アメリカが戦争すると、そのために生産される武器の部品なんかを日本の企業も作っているから、景気が良くなるのです。そう、つまり、日本は自力で景気を上昇出来ないけど、遠いアメリカがわんぱく大将としておお暴れしてくれると、儲かってしまうのです。
だから、日本が今不況だって思っている人は戦争に反対しないほうがいいでしょう。いや、むしろ助長したほうが良いかもしれません。あとは、どうなっても私は知りません。

ただ、猫の寝顔を見ていると、戦争で力の弱い、もしくは戦う気力すらない女性や子供を殺して経済を活性化させようとしている先進国に住んでいる自分が恥かしくなってきます。
もし、猫が言葉を喋れてこう質問されたら困るよ・・・
「なぜ弱者をいじめるの?」

投稿者 taku : 00:00

2002年10月30日

素人が考える 日本経済?

経済なんて、さっぱり判らない。知っている単語といえば、ブラック・マネーとか、マネー・ロンダリング程度のもの。そんな素人でも、5年前の平均株価が25000円前後だった事は覚えているし、今では8000円台っていうことも知ってる。そのくらい、メディアは経済について多くを語っているのだろう。
デフレとか、不況とか、そういう暗い話題ばっかりで、少しも明るい話題がない。

だけど、本当に不況?
余計な買い物が出来ないくらい不況???
海外旅行に行けないくらいみんな貧乏なの???

日本の経済って、きっと、今現状の姿が普通なんじゃないのかしらと。そして、バブルと呼ばれていた頃は、まさに夢物語だったんじゃないかって。

そう考えると、現状の経済状況は普通に思えてくる。
ただし、ここで間違っちゃいけないのが、国が国民に対して行なうケアが皆無だっていう事。
一部の、生活に困らない人にケアを施して、生活に困っている人には・・・。
まあ、そんなの僕が言わなくても、みんな判ってるだろうけどさ。
あえて言うと、官僚の天下り先の用意とか、意味の無い土地開発(ダムとか道路とか)。
で、不思議なのが、そんな小学生でも気付くような@ヤベー仕事」をやっている人間に投票しちゃう人が多いこと。多いって名言できる理由は、いわずもがな、議席を確保しちゃってるってわけだ。

まあ、ここに書いたところで、どうせみんあ読んでないだろうし、どうでもいいや

投稿者 taku : 00:00

2002年10月21日

三つ子の魂百まで?

子供頃、近所の子供達や小学校の同級生などと鬼ごっこや、かくれんぼなど、飽きもせずに日が暮れるまで遊んでいた事をふと思い出しました。

子供頃って、仲間同士で鬼ごっこやかくれんぼなどの単純な遊びから、それらを序所に発展させていった応用系の遊びまで、きっと数え切れないくらいの遊びを楽しんでいたと思います。

その発展系の遊びのうち、なぜだか、誰かが必ず新しいルールを思いつくんですよね。それって、ルールを思いついた子供にとって都合の良いルール。しかも、そういう都合の良いルールを思いつく子っていうのは大抵決まっている。

しばらくすると、そうしたルールに屈しない子供たちが増えてきて、さらに新しいルールを思いつく子も出てきたり・・・。
そうこうしている間に、人気のあるルールは隣町まで広がり、時には全国的なルールとなる。全国的なルールになった頃、そのルールを思いついた当の本人はそんなことすっかり忘れた高校生くらいになっているんですよね。

さっき、「自分に都合の良いルール」だなんていったけど、大人になってもやっぱりそういうルールを考える人がいて、まあ、大人になっちまうと、そう簡単にルールを広げる事も出来ないし、その反面今すぐにでもそのルールが広がって欲しいと思うもの。そんなものだから、人に頼んでなんとかしてもらう。

子供たちの行動も面白いもので、ルールを制定する子をジャイアンだとすると、スネオタイプの子供がお菓子を上げたり、駄菓子屋でおごってあげたり、それが進むと、スネオのくせにジャイアンにお小遣いを渡したりしますね。
ジャイアンは、まあ、お小遣いをくれる子を大切にするけど、時には自分から欲しがるようになり、気付いたら誰彼構わずお小遣いをせがむように。

ただ、子供の頃にジャイアンだったり、スネオだったりしている子供が必ずしも政治家になるわけではないみたいで、換言すると、大抵の政治家はジャイアンでもスネオでも無く、ましてはのび太でもありません。これら3人とは大して関わりの無い、むしろ距離をおいて付き合っていた「その他の子供」だったりします。もちろん、ジャイアンタイプが一人も居ないというわけではありません。現に(皆さんもうお忘れかもしれませんが)、あの人は、比較的ジャイアンタイプだっという話も聞きます。

公園などで、子供たちが遊んでいるのを見かけたらそっと観察してみましょう。最初のうちは自分の幼少の頃を想い出すでしょうが、いつの間にか、新聞やテレビで報道されている醜聞が重なって来ますから。

投稿者 taku : 00:00

2002年10月07日

やっパリ!

果てしなく恥かしい今日のタイトル。説明しないと付いて来れない人が1億人以上いると思いますが、それはさておき。

こうして素人がWEBサイトを運営していると、時々悩むのがそのデザイン。WEBだけでなく、ちょっとしたメモやイラスト、仕事上の資料など、「出来れるだけわかりやすく」作りたいと思う事は皆さんも同じだと思いますが、私はデザインの勉強などしているわけもなく、ああでもない、こうでもないと独り悩んでいるわけでごじあます。


先月の中頃から2週間近くパリに滞在してました。ホテルは高く付くので、短期滞在出来るアパートを借りて、そこで自炊をしながらこのサイトをちょこっとアップデートしたり、優雅なパリジェンヌを鼻の下を伸ばして眺めていたりと、あんまり生産性の無い日々を送ってました。


パリジェンヌの話については、僕の心の中だけにしまっておくことにして、街並みと、細かい部分の芸術的センスの良さに感動しつつ、道端の犬のクソとのギャップに戸惑っていた時の事を回想します。


街並みがいかにもヨーロッパの雰囲気。想像通り、いや、メディアから入ってきた情報通りだなぁと感心したのは言うまでもありませんが、フリーペーパー、地下鉄の構内、美術館そのものの構造、列車のデザインなど、とってもおしゃれなのに、親しみのある、換言すると、誰でも受け容れる事の出来るデザインになっているんです。
心地の良いデザインというのでしょうか。どんなにクールに見せていても、どこか優しさを感じさせるんです。
と、いいながらも、地下鉄の乗り方がとってもややこしかったり、道端の犬の糞が縦列駐車されていたり、そういう不具合もあって、時には致命的な結果を招く事もしばしばだったりするのですが。


MONOPRIXというスーパーがあります。日本のスーパーとどこが違うかというと、普通のスーパー(安い部類っていう意味で)のはずなのに、店の陳列の仕方がカッコイイ。それでいて、買い物がし易い設計になっているところに本来の便利さを感じさせます。ごちゃごちゃしているのではなく、とても判りやすい配置なので、欲しいものをささっとカゴにれてレジで並ぶ。そんなアミューズメント・パークのような楽しさがそこにありました。


そして、地下鉄の駅のデザイン。


つづく・・

投稿者 taku : 00:00

2002年09月30日

CD天国 日本

CDがとにかく安くで入手できる日本は、とっても天国。CDといって、キャッシュ・ディスペンサーだって思った人はちょっと注意が必要。Comapct Discの事ですからね。

ロンドンの大手販売系のレコードショップで、T.REXのCDで珍しいのはないかなぁって入るたびに探してみるけど、日本の方がその種類は多いし、価格も安い。

日本では、売り物である以上綺麗な状態で販売するっていう鉄則みたいなものがあるけど(これって消費者の要求なんでしょうね)、Londonではあまりそういう文化はないみたいです。
パリは、ものによるんだけど、どちらかというと日本よりの感覚かな。同じヨーロッパでも国が違うと様子もかなり違ってくるんだなって思う。


日本では、海外で発売されたアルバムが海外で発売される前に日本で勝手に先行発売されてしまったり、しかも値段も結構安かったりと、至れり尽くせり状態のように思える。そんな日本の事だから、きっと、ちょうどこの右側で紹介しているアルバムもHMVとかTOWER RECORDで売られているんじゃないかな?


もしその辺の情報を知っている人が居たら教えてくださいな。


そうそう、宿がGolders Greenにあるのと、今日がマークの誕生日なので、お参りに行ってきました。
写真は上のほうのリンクからご覧下さい。
(ここ読んでない人の方が圧倒的に多い気がする)


この、Golders Green,地下鉄の駅名にもなっているんだけど、ロンドン市内からのアクセスがやけに面倒だったります。

路線は、【NOTHERNLINE】という路線だけど、途中で進む方面が分岐されてしまい、間違って乗ると全く別の場所に連れて行かれます。GOLDERS GREEN駅へ行くには、North Bound(北方面)向きで且つ、行き先がでないとダメ。【NOTHERNLINE】は、ロンドンの中心を縦にバッサリ区切るような線なので、乗り換えには注意が必要です。次の駅で乗り換えよう!って思いながら、うっかり降りる忘れてしまうと、結局逆方向の列車に乗って再度チャレンジする必要が出てきます。

まあ、そんな能天気な事をやらかすのは私くらいなものか・・・

投稿者 taku : 00:00

2002年09月11日

ロンドンイキマス

6月から予定していたマーク・ボランのお墓参りツアーですが、とうとうその日が近付いてきました。
今年は、T.REXTASY(T.REXのコピーバンド)主催によるライブが行なわれるという事で、しかも、T.REXのオリジナルメンバーだったキーボードの人(ごめんなさい、名前思い出せません)までも参加するのです。わくわくどきどきはらはらなのですが、どうもそのライブハウス、結構治安の悪いというか、未知の場所ですから、恐くってたまり間s年。
元来、恐がりで臆病な私の事ですから、そもそも一人で海外に行くなんてことはありえないのですが、無鉄砲なところは、坊ちゃん譲りとでもいっていいのか、悪いのか・・・

例によって、リアルタイムレポートをする為に、デバイスオタクな私はPCを持っていきます。もちろん、ノートPC
その辺の準備などをこのサイトで紹介してもいいですか?まったく場違いだとは気付いているのですが・・・

しかし、グラムロック・イースターに行けないのが残念です。なので、私の分までぜひぜひ盛り上がってきてください>行く人々。

それと、写真なんかも提供していただけると、嬉しいです。もしデジカメなどを持参出来る方、投稿お待ちします!
私宛にメールを頂ければ大感激です。
ただし、余りでかいサイズはご遠慮ください。(身勝手ですみません)

ロンドンレポート、お楽しみに!!!

投稿者 taku : 00:00

2002年08月30日

夏の思い出?

8月も終わり近くになると、いよいよ秋の気配を感じさせる風がやってきます。

毎年同じように季節がめぐり、その中で人々の交錯する分岐点にドラマの存在を感じさせます。


日本は狭いと言いますが、北から南まで、亜熱帯から亜寒帯をカバーする表現豊かな気候であることも確かです。

それが、ここ数年、地球環境の劇的な変化によって、東京の桜の開花が異常に早まったり、都市部の気温が極度な高温に見舞われたりと、文明によって得た簡便と快適を、自然環境の異常とトレードする羽目になりました。


西欧文明が日本に浸透する過程において、それまで自然と上手に付き合ってきた日本人は、知己を得たという誤解を否定せず、国土に合った開発とは逆行した方向に進んでいったのは既知の通りですが、それ以上に恐れるべき事は、未だにそうした誤解を認知せずに、企業先導による開発が進んでいる事です。

具体的な説明は皆さんよくご存知だと思うので、ここでは触れませんが、身近なところでは、リサイクル可能な製品という時点で、それが誤解なのです。

そもそも、エネルギーを費やしてまでリサイクルする必要はなく、無駄なエネルギーを使わずにリサイクルが可能な製品を生み出す事に企業は努力すべきだったのです。

そうした一部の原動力が一般社会に誤解を隠蔽したまま浸透した結果、あらゆる面で効率の悪い社会に変貌していったのではないでしょうか?


今年の夏は、様々な意味で思い出が出来ましたが、世の中自体、今一度リサイクル可能な社会にするべきではないか、そう感じさせた夏でした。

投稿者 taku : 00:00

2002年07月17日

「ヒトネコ」について

ノラ猫と呼ばれ、飼い猫が野生化したり、捨てられたり、それらが増やしていった子孫であったりと、人間に対してネガティブなイメージや、余り接点が無い猫が多いと思います。

逆に、イエネコは、家庭で飼にいて、ややもすると人間であると勘違いする程、人間との共生を成功させています。

猫と共存すると、彼らは人間に心を開いてくれた時点で、人間を避けるという事が減り、次第に、好かれるのです。

仕事中に机に上がり、ひっくり返っておなかを見せながら物足りなさそうに鳴き、人間が移動する度についてまわり、そして、挨拶に返事をしたりと、まるで犬のような所作が見受けられます。

そうした、人間化した猫をイエネコ。それがさらに人好きになったものを(人間化したもの)ヒトネコと呼ぶことにしたいと思います。

(次回に続く)

投稿者 taku : 00:00