T.REX(ティーレックス) / MARC BOLAN(マーク・ボラン)のトリビュートサイト
Marc Bolan(本名Mark Feld)1947年9月30日生 1977年9月16日没。1970年代のグラムロックシーンを代表するアーティスト。 David Bowieらと共にグラムロック・ムーブメントを引き起こした。洗練された音楽・ファッション・詩からは、未だに新たなファンを生み出す神秘的な魅力(永遠のカリスマ)を感じさせる。

2006年08月29日

花舞うタカマドノテラ:第50回 高円寺阿波踊り

高円寺の阿波踊り

高円寺といえば、ねじめ正一の高円寺純情商店街でも知られ、また近年ではお笑いブームの下支えの街というイメージも定着しつつあります。

余談ですが、そのねじめ正一氏は高円寺ではなく、その隣の阿佐ヶ谷のお店によく「店番」として立ったり座ったりしています。(居ない時の方が多いかな) その高円寺は、もともと下宿が多かった事もあり、地方から上京した学生や専門学校の生徒などが、一番最初に「何か」に憧れて暮らすスタート地点、そんな街と言って良いかも知れません。
一体何に憧れるのかは判らないけれど、きっと何かがあるんでしょう。

地方出身者が集う一方で、地下茎を張り巡らした土着の住民も多く、中央線沿線の中でも最も下町っぽさが色濃い街です。
その下町っぷりは、例えばキャバクラやフィリピンパブのような夜のお店や、杉並区内では珍しいラブホテルがあったり。戦後闇市が名残なのか、やくざな商売が成立してしまっている不条理がこの街では必然となっています。

それと、これは理由はわからないけれども沖縄出身の方も多く住まわれていて、沖縄料理で有名な「抱瓶」だけでなく、他にもいくつかオキナワテイストなお店が数多く存在しています。
とにかく、変わった街です。

さて、高円寺の阿波踊りは、戦後復興著しい昭和30年代、周辺住民や商店街が、街の発展を望んで始まったのが由来とされています。
今や徳島の阿波踊りに負けず劣らず、年々その規模が拡大し、多くの観客を動員する一大イベントへと成長しました。
主催者側の発表によると、集まるオーディエンスが135万人規模にまで拡大しているとの事。
本場徳島の新聞でも高円寺の阿波踊りが「東京随一の夏祭り」と称される程です。
経済効果も相当なものでしょうね。 その高円寺阿波踊り、高校生の頃から見るともなしに何度か見てきていますが、今年は運良くゆっくり気分良く見ることが出来ました。
例年だと、この時期は真夏日が続き、経っているだけでも相当辛い上に阿波踊りを見にきた大勢の観客の熱気も加わり、ただただ疲れるだけだったのです。
それが、今年は9月中旬頃の気温に、時折パラつく涼しげな雨のおかげで、ちょっとした避暑地で見ているようなリラックスムードでした。
とはいえ、オーディエンスの多さには驚きましたが・・・。

やっぱり日本は最高

「和」の心を艶やかに且つ純粋に見せてくれたのが「連」と呼ばれるチーム事に特色を持った華やかな衣装です。
男女どちも和装で決め込み、時にやさしく、時に勢い良く踊る姿は見ていて清清しいものでした。
踊りや衣装だけでなく、女性の艶のある掛け声と、鼓笛隊の織り成すリズムはロック魂を感じさせてくれます。
「連」によっては、ハードロックな雰囲気さえ感じられるリズムがあったりと、まさにカルナバレスクです。

今年は土日の二日間、夕方6時から夜9時までの開催ということで、土曜日にケーブルテレビの生中継を見ながら事前勉強が出来たのは何よりでした。

ところで、今回は始まる1時間半くらい前に待ち合わせして、カフェでお茶してからみようということになったのだけど、その「カフェ」の場所がどこにあるかで「賭け」に発展。
私は地元の利で勝たせていただきまして、アールグレイをご馳走になりました。ありがとう。

投稿者 taku : 01:53

2006年07月27日

江戸情緒がやってきた。烏山の寺町通。

teramati_001.jpg
大正時代、関東大震災を期に浅草などの寺院が今の世田谷・北烏山に移動してきたという。
それから80年余を過ぎた現在、烏山は都内でも有数の寺町として、知る人ぞ知る散歩コースとなっている。

あ、完結してしまった。

成城警察署は仕事熱心!?

かれこれ15年来の付き合いになる自転車に乗り続けている私は、どんなにボロくたって、警ら中の巡査に呼び止められてもこの自転車を手放そうとは思わない。
話は脱線するが、杉並・世田谷は自転車の盗難がここ数年増えているのだそうだ。
私は高い確立で巡査に職質される。最近ではそれが余りにも頻繁すぎるのと、警察OBの方のアドバイスで、職質してくる巡査の名前などを控えるようにしている。
3名の熱心な巡査リストが出来上がった頃、今度は職質されるのを期待するようになった。
このリストを増やして自慢したい、そんなコレクター心が芽生え始めてしまったのだ。
しかし、こういう珍しい趣味を持ち始めた途端に巡査は熱心で無くなる。コレクションしているのが気付かれてしまったのだろうか・・・。

そんな風にどこかに巡査は居ないか、などと考えながら、というわけでもないが、ちょっと一息つきたいときは大体烏山周辺までサイクリングをする。
ぼろい自転車でのサイクリングなのだから、横文字のカタカナ表記を使うのは随分乱暴に思われるかもしれない。

玉川上水の川面が見えてくるのは、富士見が丘のNHKグラウンド裏あたり。この水路に沿って走ったり、そのまま高速道路の下を西に向かったり、そのときの気分でルートは変わる。
今回は烏山の話なので、高速道路下を西に進むルートを通ることにする。

烏山の寺町

途中、高速道路下は団地に挟まれるような形でその下を通れなくなる。
用地買収が済んでいないのか、構造上の不具合なのか、遠回りを強いられるのは地域住民には不便だろうと余計なお世話を心の中で焼きながら、しかし、この不便を理由に、「なんとなく昭和の風景が残る団地」の中を、私はをセーセードードーと通る。ちょっと得した気分だ。
元来、人生自体が遠回りなので、この程度の遠回りは慣れっこになってしまった。
遠回りした後、再び高速道路下を山梨方面に進むと「寺町通り下」という信号が見えてくる。
そこはまさに左折せよと言わんばかりの寺町通り風情漂う光景だ。

東南アジア風の妙祐寺本堂

teramati_003.jpg
そのお寺の密集する中に一際目立つ、というより異彩を放つ寺がある。写真のそれだ。
大正モダニズム様式というわけではないだけど、丸みを帯びた装飾やクリーム色の外壁、これは浄土真宗本願寺派のお寺だ。20世紀になって2度の移設を経験しているという事だが、一見するだけは判りづらい。
他のお寺はそれなりに名前の通りの雰囲気を体裁よく整えているのに対して、ここだけは、その本堂の風貌からインド様式の寺院である事が突出して目立つ。
なぜこのような建物になったのかは判らないが、機会があれば住職に成り行きを聞いてみよう。

この寺町通へは、京王線千歳烏山から南を向いてのほほんと歩けばなんとなく見つかるだろう。
千歳烏山の商店街はアド街ック天国でも取り上げられたりして、そこそこ名は知られているだろうけれども、この寺町通は余り知られていないので、有名になる前に散策する事をオススメする。

なんてったって、江戸時代の有名人のお墓が移設されてきているので、思わぬ大発見も出来るのだから。

東京都世田谷区北烏山4-16-1

投稿者 taku : 21:51

2006年07月23日

猫が暮らせる東京路地裏。

寺山修司という世界についての記事はこちらのページです。リンク修正をお願いします。
chat_et_chat.jpg
浜田山から阿佐ヶ谷まで100円のバス、「すぎまる」が開通して何年経過しただろうか。
開通前は商店街の反対に遇ったという。
反対の表向きの理由は、
「商店街には歩行者が多い。彼らにとって迷惑かつ危険だ」
という事のようだが、実際は、
バス開通により、地域住民が阿佐ヶ谷まで足を伸ばし、ただでさえ魅力の無い浜田山の商店街を余計過疎化する要因となる。
そんなところだろう。

さて、現実はどうかというと、南北に出来たバスルートは人の往来を活性化し、結果的に地域商店街への経済的利益を供与した。

戦前、浜田山周辺は麦畑であった。井の頭街道は今の半分程度の道幅。その南に位置する甲州街道は、今の井の頭街道よりも狭い旧街道である。
この旧街道が戦後進駐軍の軍事車両通行のために大規模な拡幅工事が行われ、東京湾に入港した船から下ろされた兵器が甲州街道を経由して府中、立川、福生などの基地へ運ばる。
拡幅工事は朝鮮動乱の折に一層激しさを増し、結果、現在のような主要幹線道路への進化を遂げていったのである。

戦後しばらくの間は地主が土地を手放さなかった(価格が上がるのを待っていた)こともあり、浜田山は田舎のままであったが、東京オリンピックの開催をきっかけに状況は急変する。
そこに、浜田山が何もない武蔵野の田舎から中途半端な町への変容というストーリーが内包されているわけだ。

そもそも、浜田山という田舎臭い地名には由来がある。その語源を示す説には紆余曲折がある事から、真実は意外と知られていない。
元来、武蔵野地域の住民の「言葉の訛り」のようなものとして、例えば松林だったり杉林なんかが平地にぽつねんと存在すると、それを松山だったり、杉山などと呼ぶような習慣があった。

井の頭線駅名の由来を解説する資料を見ると、浜田という百姓の土地が由来だという比較的簡素な説明がある。
上述の「~山」という林を示す「武蔵野の方言」と、郷土史における浜田山の変遷と重ねるとより詳細の由来が現れる。

「浜田」という百姓の持つ畑の中に、雑木林があった。武蔵野の住人はそれを「浜田」の持つ「雑木林」という意味から「浜田山」と呼んだ。
この話は戦前からこの土地に暮らす「80を超えたおじさん」から取材中に得た話である。
信憑性云々よりも、事実だけを繋ぎ合わせると解が得られた。数学的だ。

さて、そんな浜田山のどうでも良い語源の話題で盛り上がり、「すぎ丸」については終に(ついに)触れず、ここまで来てしまった。それどころか「路地裏の猫」まで迫害を受けている始末だ。
しかし、この「ふたつ」は私の中で比較的容易にリンクする内容なのだ。

前回、「寺山修司という世界」を観に行ったと書いた。土曜日にもう一度、今度は地元の友達を誘っていく事にした。
生憎の曇天で雨が降るかも知れないので、阿佐ヶ谷までバスで移動する事にした。そのバスが「すぎ丸」。
このバス、確かに住宅街ばかりを選んで通行するバスではあるが、いわゆるコミュニティーバスというわけあって、そのサイズもコンパクト。
ロケバスくらいな大きさを想像してもらえばおよそ見当がつくだろう。

五日市街道を横切り、杉並高校の脇から阿佐ヶ谷住宅を過ぎたあたりに、築年数に歴史的な重みを感じさせそうなアパート2階の屋外通路に目を遣る。そこに見つけた猫に私は「あっ猫」と小さい声で叫んでしまった。

なんだか矛盾しているようだが、「あっ」と言いかけた時に、そう、こういうときに限って普段の1万倍を超える劇的な脳の回転が生まれるのだけども、僅かの間にここは公共空間の中だという意識がエンベロープを下げる事に成功し、声が小さくなるに至った。

パリなんかのアパルトマンなんかもそうだけど、大抵中庭あたりに猫が居る。誰が飼っているというわけでもなく、なんとなく居る。
なんとなく居る、なんとなく生きている、なんとなく生きることが出来ている・・・。

四季を通して、寒い日や暑い日、雨の日風の日、いじわるな人間、ひどい人間、バカが運転する車、キチガイが運転するバイクなど、彼らにとっては危険がそこかしこに存在している。

にも関わらず、平穏な姿で寝ている猫を見ることが出来るのは、その地域がまだ人間によって完全に抹殺された空間ではない事を意味している。

灰色の建物をアマゾンの森林に例えてコンクリートジャングルと表現される。
そんな殺伐とした東京を示す言葉の語感に見合う雰囲気はこの地域には「まだ」到達していない。

四半世紀の間に、善福寺川の護岸工事は終焉を迎え、杉並の方々(ほうぼう)で見られた芋畑は宅地へ変容し、空き地の「土管」も地中に潜り、そして朝夕(ちょうせき)のラッシュの殺伐とした空気が時に他人の生命すら迫害するストレスになっても、猫は猫のままである。

言いたかったことはそれだけだ。

投稿者 taku : 03:30

2006年07月20日

寺山修司という世界 ~劇団 羊のしっぽ~

terayama_sekai.jpg 中学生の頃に教科書に寺山修司が題材として取り上げられていて、それ以来なんとなく彼のホンを読んだり、ぼんやりと映画を観たりして、そして、どこかに引っかかってはいた。

その頃は、ちょうど漱石や龍之介、太宰などの作品をゆっくりとしたペースではあるものの読み続けていた頃だったので、それらより新しい作品全般は、結局高校に入ってからに後回しとなった。

数年前、吉祥寺PBCで寺山修司特集のような企画展をやっていた。存命中の母を勝手に亡き者として扱ったり、阿佐ヶ谷を舞台にゲリラ的な演劇をやっていた普通の人という印象が強かった彼が、

どこかインテリゲンツァのようでいて、また、ある種のアイドル的な存在として扱われているようだった。

先日、ある知り合いの女優さんが出演するということで、その方にお願いしてチケットを確保したもらったのが表題にある「寺山修司という世界」という舞台。

つまりは、寺山修司とはこんな世界観を持っているのではないか?という提案のようなもの、だという感想を率直に抱いた。

リアルタイムで彼の作品を間近にした事がなかったので、彼に関しての情報の全ては伝聞によるものだった。

だから、何が本当で、何が捏造なのかは全くわからないのだけど、この舞台に関しては頭の中で描いていた想像が、あたかもドラえもんの声が大山のぶよでなければならない、という理屈にも似たものを得る事が出来た。

似たような経験で言えば、グラナダTVで制作されたシャーロック・ホームズシリーズの中の一つ、「空家の冒険」がまさにそれだった。

医者ワトスンの前に現れた「小脇に年代モノの書物を抱える」老人が、キャビネットのガラスに反射するその象影の中で、やがてそれがホームズである事をカメラが捕らた時の演出の細かさ、そして、その日の日没後に出かけた、あのベーカー街221にある部屋向かいの「空家」にてモーラン大佐を待ち構える時の息を呑むような瞬間、それらが、テクストから得た頭の中の想像を見事に一致した時の喜び、それが、今回の舞台にあったように思える。

寺山修司という人は、私がここで述べるまでもなく、アーネスト・デ・ラ・セルナを演劇という世界に引き込んだような人物。

恐らくマザコンで、そして恐らくどこまでも人を裏切るのが好きなサプライヤー。そんな人なのではないだろうか。

その世界を、前述のようにあえて提案という形でハワイアン・キルトのように繋ぎ合わせ一つの演出えと導かれた今作には心から圧倒されてしまった。

舞台と客席までもがキルトのようにバラバラとなり、またそれが絶妙なバランスを用いたピカソの絵画のように張り合わされている。

舞台装置から、音響、照明に至るまで妥協を極限まで許さないという姿勢は、チケット代の1,000円という革命的な価格には到底見合うものではない。

劇団四季のように汎用的なエンターテイメント性を重視した作品とは、キャパシティー及び興行規模では異質ではある。しかし、万人に対して与える影響なり印象というものは、心象的なエンターテイメントという観点においては、同じ土俵に居る事は明白だ。

客席に見た宮藤官九郎も、ビックリしたのではなかろうか。

神楽坂というロケーションも意外。

新宿2丁目や、高円寺、中野などのアングラ演劇のメッカのそれとは意図的に物理的且つ精神的な距離を置きたかったのであろうか、あらゆるディティールにおいて、演出・制作の舞台裏の膨大な努力が、ターシャ・チューダーが守るあのガーデンのように美しき花々を咲かせた最高の舞台だった。

今週末に千秋楽を迎える。その前に、時間が許せばもう1回観たい。

■劇団羊のしっぽ http://www.hitsujinosippo.com/

投稿者 taku : 00:41 | コメント (1)

2006年06月01日

東京裏観光:足を伸ばして神奈川・生田緑地へ。

辛くない四川料理は詰まらない~廣味坊環八店~

20060528_001.jpg その店は、四川料理をベースにしたラーメン屋、といった面構えの看板を持ち、刀削麺を売りにしているようだ。
環状八号線の八幡山付近をスタート地点に決め、そこから友人と自転車で黙々と南下する事7分。
途中、水色模様の千歳清掃工場の煙突を通り過ぎるのだが、この工場に併設された屋内プールは、ゴミの焼却熱を再利用してプールの温度管理に利用している事が特徴の一つ。
これより数キロ北上した高井戸の清掃工場は、日本で最初のエネルギー循環型清掃工場として一時世界各国から注目を集めた。完成までの間には地域住民による反対があったが、当時としては最新の処理技術を投入した結果、環境汚染物質の排出が限りなくゼロに近い状態を保つ事に成功した。
環境先進国のドイツからも視察に訪れていた事を、当時小学生だった私でさえ、非常に感心したほどだ。

廣味坊というのは、高井戸の煙突(杉並区民は主にそう呼ぶ)から数えて2番目の煙突の先にあるんだと記憶すると見つけやすいかもしれない。
なぜ高井戸の煙突から数えるのかは、読み進んでいくうちに判ってもらえると思う。





四川料理というから、辛いものを予想しまた期待に胸を膨らませていたのだが、全く辛くなかった。
注文したのは坦々麺。
私の味覚が狂っているのか、と思うほど辛くない。どちらかというと酸味の利いた味で、多めに投入されたスリゴマが口当たりをまろやかにしてくれる。
麺の種類は刀削麺と細麺を選べるというのだが、刀削麺を売りにしている店で細麺の注文まで面倒を見てくれるのは、珍しくあり、奇妙でもある。
友人は「暑いから」という理由なのだろうか、冷麺を頼んでいた。少し貰ったが、こちらはさらに酸味が利いていた。やりすぎだと思った。

全体としては、決してまずくはないし、丁寧な作りをしているから、辛いのだろうと期待を裏切られた事を除いてはまあまあだと思う。

  • 参照先サイト:小田急沿線生活情報 CUE'S EYE

    成城嬢が見つからない・・・

    20060528_002.jpg まあ、大抵の場合、アホな企画を楽しむ傾向があるのか、成城嬢を見に行こうという事になった。
    世田谷通りを西に進むと成城の駅前になんとなく到達する。このなんとなくというのは、特に決まったルートを通らない場合にのみ使われる言葉である、と、私のサイクリング辞書に載っている。
    成城嬢とはなんぞや、という疑問にはこう答える。
    「成城に暮らす、ソフィストケイトされた歳のころvingt-cinq ansくらいのお嬢さん」だと。
    ただそれだけ、であって、他にこれといった特徴も無ければ付加価値も無い。世田谷に繰らず「世田谷夫人」の多くは、成城嬢を装っている地方出身者であると、どこぞのコラムニストが言っているとおり、馬子にも衣装という言葉が妙にぴったりしている。

    成城嬢を見るために、成城くんだりまでした割に、駅前にたどり着くとさっき立てたばかりの目標を見失い住宅街の中を優雅に走る。
    シャーロック・ホームズの「美しき自転車乗り」の家庭教師の如く、新緑の中を風を切って走り抜ける爽快感は、邪心を打ち消してくれる。

    小田急線が成城の駅を出たばかりで真上を見ると、切り立った崖を望む事が出来る。高低差20メートルはあろうかという崖だ。
    この崖の上から線路の向こう西の方面を向くと、丹沢(だったと思う)の連峰が一望出来る。見事な展望スポットだ。
    映画で使われそうなその光景、トワイライトが更なる優雅な空間を魅せてくれるだろう。

    多摩水道橋を越えて

    20060528_002.jpg 急な斜面を駆け下り、狛江駅から小田急線に沿って和泉多摩川までおよそ15分。もう少し掛かったかもしれないが、まあ、そんなところだろう。
    多摩川に掛かる多摩水道橋を超えると神奈川県川崎市となる。ここから登戸の駅まで数分。特に目的地を決めていないから、遠くに来た、という感じは余りしない。
    登戸の駅へは寄らず、生田駅の方面へ進むうちトイレに行きたくなってきた。
    廣味坊でスープまで飲み干し、そのスープの酸味に負けた喉を潤すためにがぶ飲みした水が、今ごろになって出たいと言い出す。
    どこか適当な場所は無いかと探すうちに、専修大学の生田キャンパスのふもとあたりで、男子にとってはちょうど「良い感じ」の場所にめぐりあう。
    坦々麺のスープが勢い良く出て行く最中、ふと顔を上げると向こう側に畑を耕す農家のオヤジが帽子を被って鍬を上から下に下ろしているのを見付けた。
    どうかこちらを振り向かないでくれと100m先のそのオヤジに向かって祈りながら、ZIP UP。急ぐとたまにはさむことがあるので、慎重にしないといけない。

    せっかくなので、山道をぐんぐん登っていく。体力の衰えた私は手で押す。友人はまだまだいけるという。

    岡本太郎と生田緑地

    20060528_003.jpg 頂上に到達すると、そこは専修大学に占拠されたような集落になっていた。
    日曜日なので、学生は殆ど見かけなかったが、学校の周りを見ると、クラブ活動やイベントなどの存在を主張する看板などに装飾された区画があって、一昔前の明治大学御茶ノ水キャンパスのような雰囲気を醸し出していた。
    この学校の裏に、生田GCがある。広大な敷地にラフとグリーンのコントラストが鮮やかに見える。
    ゴルフという娯楽は、健康に良いなどと言われていたが、これは間違いだと思う。
    ADEOSだかLANDSATだかの衛星画像で解析すると、砂漠扱いになる。砂漠と同程度しか酸素を生み出していない、もとい、炭酸ガスを多く発生させているのだ。
    芝を管理するための農薬によって健康を害しにわざわざ棒とボールで一日を無駄にする娯楽をゴルフ以外に探せといっても難しい。

    ゴルフ場から少し下ると岡本太郎美術館の大きな彫刻が現れる。太陽の塔くらいの大きさだから、すぐに見つかるだろう。

    20060528_004.jpg 生田緑地の中に突入すると、さらに登りになる道があった。どうせなら、ということでその道を進むと展望台へ到着。
    15メートルはあるか、ご丁寧にエレベーターまで完備されたその展望台からは、新宿の高層ビル群を確認できる。大パノラマだ。
    新宿から西の方面を向くと3本の煙突が並んでいるのを発見。手前にあるのが砧の清掃工場の煙突、一番奥が高井戸、これらの煙突の間にあるのが、千歳清掃工場の「水色の煙突」という位置付けになる。
    思えば遠くに来たものだ、高井戸の煙突が随分向こうに見える。直線距離で15キロはあろうか。実際には30キロ近くはあるか?

    生田緑地の公園内には、科学館・・・とは名ばかりの自然観察館があって、その周囲にはD51が静態保存されていて、思わず携帯のカメラで写真を撮ってしまう。
    それよりもさらに興味を持ったのが、古民家を移築展示している「日本民家園」

    20060528_006.jpg 時間が無いというか、閉館時間の間際でもあったし、どこが入り口が判然としなかったのでスルーにしたが、近いうちに再度訪問しようと思う。そのときは電車で行きたい。

    生田緑地を後にし、登戸駅から宿川原を超え、多摩川河川を下流に進み二子玉川のカフェで一服。オープンカフェの真中にあるマロニエの木が余りにも綺麗だった事に一人感動する。
    帰りは246から環八に出て岐路についた。

    自転車の走行距離だけで考えると、山手線を半周(これはパリ市内を半周とだいたい同じらしい)くらいはしただろうか。随分疲れたように思われるかもしれないが、ここ数年、仕事で打ち合わせに行くときも、それが電車で15分の場所でも自転車で移動するほどの「チャリンカー」なったせいで、疲労感は全く無い。
    友人も同じく、いや、私以上に長距離走行を「ママチャリ」で可能にしている強漢(と書いてつわものと強引に読む)だから、大したものだ。

    20060528_008.jpg いや、誰より凄いのは、この長い記事をここまで読んでくれたあなたです。本当にありがとう。

    投稿者 taku : 03:24

    2005年12月29日

    最近、リサイクルショップが面白い。

    リサイクルショップには、大きく分類して3種類ある。
    一つは、衣類などの布がメインの店。地域コミュニティー参加型のフリーマーケットといった雰囲気がある。
    二つ目。ブランド品がショーケースに並ぶショップ。リサイクルとはいえ、そこそこ値が張る。高級腕時計も。
    そして三つめが、とりあえず何でもあるリサイクルショップ。
    取り立てて「魅力的」なものが並んでいる事は余りないが、たまに掘り出し物がある。
    そういう店は、仕入れ値が無料もしくは、引き取り料として逆に料金を手に入れている事があるので、値段なんてなくても成立するような状態らしい。

    この3つめのリサイクルショップをめぐることが最近の楽しみの一つ。
    まあ、大抵の場合、欲しいと思えるような物と出会えるチャンスはなかなか巡ってこないが、たまにお宝を発掘したような気分になる事がある。



    とあるリサイクルショップに初めて入ったときの事。
    店に入るなり、「こんにちは」という景気の良い挨拶が耳に届く。
    声が出てきた方向を見遣ると、40代後半の店主が笑顔で迎えてくれた。
    今までの経験上、リサイクル・ショップの店員というのは、挨拶も積極的でなく、古本屋のアルバイト店員と同じ物静である、という印象が強い。
    中には、無言でじろじろ見てくる気色の悪い店員もいる。
    しかし、「こんにちは」と言われたのは初めてだった。余りにも突然で、しかもその声に不自然さを感じなかったのでこちらもつい「こんにちは」と返事をしてしまった。

    店内には、子供のおもちゃからテレビ、服、雑貨、食器などが雑然と詰まれている一方、カウンターの前のテーブルには、タイやインドネシアの雑貨や土産物などが、なぜかそこだけきれいにディスプレイされている。

    何かのきっかけで店主は長話を始めた。年に何度かタイやベトナムあたりを放浪の旅行に出かける話や、在日中の留学生と近所のタイ料理屋で交流を深めている事。
    彼の簡単な略歴などを披露もされた。
    ちょうど、夏の夕日がかんかんと照り続ける頃の事だったので、その店があたかもホーチミンの雑貨店のように思えてきた。
    結局、その日は何も見つからず何も買わなかったが、店主はまた遊びに来いというので、後日遊びに行く事にした。

    別の店でのこと。そこは、住宅街の中にぽつねんと姿を現してしまってどうもすみません、と謝っているような店構え。
    店の面構えと、主人の態度が絶妙なシンクロ具合である。
    「専門外以外の値段はわからないから」という店主は、品物の価格を聞いた私に「いくらなら買いますか?」と聞いて来た。
    近所にタバコを買いにいくついでに立ち寄ったような店だけに、小銭しか持っていなかった私はありえない価格を提示してみると、「それでいいです」とおっしゃる。
    そう言ってくれると嬉しい事には違いないが、気が引ける。ただ、実際ポケットの中にはタバコ銭程度しか入っていないから、「じゃあそれで」の一言で決着がついた。
    その時、店主の好意か何かで譲ってもらったのがT.RexのEPだ。

    とあるギターがケースに入って転がっている店を見つけたときの事だ。
    その店はでは、何度かこまごまとしたものを買っていて、店員も顔を覚えていてくれていて、よくまけてくれる。
    けちな店だと、せいぜい消費税分程度のディスカウントで終わるのだが、そこは消費税分の値段で売ってくれる事がある。
    このギターの価格はいくらなんだろうと聞いてみると、まだチェックしていなけど、それでよければ500円でいいよという。
    悩んだ。果たして、これを500円で買ってしまっても良いものなのだろうか。
    一応そのギターの入手ルートを聞いてみたら、引越しの際に不要になったものを引き取ったのだそうだ、倉庫で眠っていたというそのギターには、いや、ギターケースには若干のカビが付着していた。
    あとでアンプを通してチェックしてみたけど、これといって不具合は見つからなかった。ただ、ケタ外れに重たい。部屋に置いてあるどのギターよりも重いんじゃないか。

    私がリサイクルショップが好きなのは、その街の生活環境が把握できるという事があるからだ。
    街を散策する上で、リサイクルショップの雰囲気は、ある種その街の雰囲気の縮図のようなものであるので、私はそうした縮図を頭の中に叩き込んで散策をする。
    地域には、その風土特有の歴史や特徴があって、地域コミュニティーの中から様々な話題を得る事が出来る。
    たまたま居合わせた別の客、たいてい主婦やリタイアしたおじさん、インテリゲンチャのおばちゃん達なんかは、なぜか私に話し掛けてくる事が多い。
    最初は、なぜ私に声を掛けるのか不思議だったが、最近はどうでもよくなってきた。こちらから声を掛けなくても、向こうからいろんな話をしてくれるのが楽しくなってきている。

    いろんな地域に出かけて、その土地の風俗を知るというのは、私のような人間には大変貴重な材料となる。
    中には、戦前の町並みを事細かに説明してくれるおじいさんが居たりするのだけど、そういう人の情報はそう易々と得られるようなものではない。大変貴重だ。

    リサイクルショップというのは、ある種の江戸庶民の精神を彷彿(ほうふつ)とさせるだけでなく、モノで満たされ退廃した都会特有の浅薄な気風の、微力ながらも消毒薬としての役割を担っている、そんな場所であり、思想であり、概念ではなかろうか。
    景気が良いとか悪いとか、そんな事に囚われて行動するような習慣を捨ててしまうと、リサイクルショップも楽しいものになってくる。
    何より、お金より心の得をする事があるんだから。

    投稿者 taku : 00:28

    2005年07月04日

    三鷹で見つけた路傍の石

    先週、中央道の三鷹バス停に訪れたばかりではあったが、今週の日曜日は三鷹方面を散策した。
    ご存知のとおり、都議選の投票日であったので、近所の投票会場へ寄ってから、地元に越してきた友人のTさんを連れて一路久我山方面に向う。
    首都高の下を進む途中、傍らに畑が点在するのが面白い。道路脇に並ぶ即席販売場で売られている野菜は、市場よりもお手軽な価格であり、採れたての土の香りのする野菜は道行く人の評判になっているそうだ。

    途中から玉川上水沿いに入り、川のせせらぎを楽しみながら、数キロ続く緑のトンネルを自転車でゆっくり走るのは、仕事に煮詰まった時などには絶好の気分転換となる。
    畑の数も井之頭公園に近付くに連れて増えていき、まさにとなりのトトロの世界を彷彿とさせる田園風景に出会う事が出来る。

    御殿山を過ぎたあたりで、もう少しで三鷹駅という地点に差し掛かる。この付近、太宰治が入水した場所として知られ、三鷹の禅林寺には太宰と共に森林太郎も眠る。
    明治・大正を代表する作家が好んで武蔵野周辺に居を構えていたことから、この付近には近代日本文学に関するネタに尽きる事がない。

    mitaka_001.jpg太宰の入水地近くにある「山本有三記念館」にも立ち寄った。記念館門前には、彼の作品「路傍の石」をもじって、二抱えはありあそうな大きな石が置いてあり、エスプリが効いている。
    三鷹市の外郭団体が管理しているこの記念館は、ありがたいことに入場無料である。建物自体は、元来別荘として建築したというものであって、豪華絢爛というわけではないが、イギリスの中流階級が暮らす住居といった趣きがある。

    ちょうど、この日は「山本有三展 ~文学的交友について~」という期間限定の展示が行なわれていた。
    建物の外観は、写真でもわかるように洋風建築となっていて、内装も先述のとおりの様相であるが、2階の1室は数寄屋造りとなっていて、そこだけ異空間といった趣きだ。
    とはいえ、違和感は差ほど感じられなかった。数寄屋造りの質の高さなのか、私自身の日本人として感じた和の空間であったからなのか。
    私自身は山本有三というと路傍の石しか思いつかない薄学な人間なので、この程度の感銘でしかないのが勿体ところだが、戯曲に通じている人なら、こうした空間を訪れてみるのも悪いことではないだろう。
    ともかく、この周辺の緑が心地よいので、散歩のついでにちょっと寄ってみるという程度でも、十分この建物の意義は果たしているだろう。


      三鷹市山本有三記念館
      〒181-0013 東京都三鷹市下連雀2-12-27
      TEL:0422-42-6233
      開館時間 9:30am - 4.30pm
      休館日 月曜日(月曜が祝日の場合は開館し、その翌日と翌々日は閉館)
      入場料 無料
      交通
    • 三鷹駅より徒歩12分

    • 吉祥寺駅より徒歩20分

    • シティバス むらさき橋または山本有三記念館前

    • ※「山本有三展 ~文学的交友について~」は、10月2日まで開催。

    記念館を後にすると、次の目的地は、Tさんの友達でどこか不思議な雰囲気をもっているKさんの家を訪問する事となった。
    Tさんは、玉川上水散策中に衝動買いした農家のトマトをKさんに届けたいと言い出したのだ。なんだか面白いことになってきたので、トマトを届けるのに同行してみることにした。
    Kさんの家は、吉祥寺の閑静な住宅街に位置し、昭和の古き良き時代を感じさせる外観にノスタルジーを感じた。
    そんなノスタルジックな建物の住人は、パリのど真ん中に暮らしていた時代があったというほどのジェンヌで・・・のはずだが、おくびにもそんな感じはしない。実際、パリで暮らしているような人は、贅沢もしなければ、むしろ質素でシンプルな生活をしている方が大抵なので、当然といえば当然なのかもしれない。

    トマトを届けたついでにコーヒーを一杯ご馳走になり、この日の散策は解散・終了ということになった。

    投稿者 taku : 16:30 | コメント (3) | トラックバック

    2005年06月30日

    1000億円の無駄遣い

    ■ 道路公団強制捜査-1000億円の無駄遣い-
    ▽産経新聞@Yahoo!より。
    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050630-00000001-san-soci

    bus_stop.jpg三鷹バス停。正式には中央道三鷹。
    日曜日の昼下がり、ハートブレイクな私は、殺風景な場所にあるこのバス停まで自転車を漕いで走っていき、どこか長野の山奥にでも傷ついたハートを癒そうと急に思い立った。

    それにしても、このバス停の入り口は殺風景だし、階段を上っていくと閉じられた鉄の扉がバス停の入り口なのか、業務用の通用口なのかわからない。
    知る人ぞ知る信州への扉、といったら少し風情はあるが、うらぶれた公園に放置されたトイレのドアといってしまえば、それはそれで似合っている。

    ドアを開けると、そこが料金所の手前だということがわかった。ETC専用レーンの手前あたり。
    どんなバスがやって来るのだろうと少し待ってみる事にある。その間、先客の中年男性が二人いた。
    そのうちの一人、古びた帽子を頭に置いた男性が、タオル片手に暑そうな顔をしている。兼業農家の出稼ぎ労働者だろうか。手には何もぶら下げていないけども、待合室にナップザックが無造作に放置されているのを見ると、きっと中に反抗期の娘へのSouvenirが入っているに違いない。
    どうでもいい想像で時間を費やすも、そうタイミングよくバスは来なかった。

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    bus_stop02.jpgそれにしても暑かった。
    この日の最高気温は32度だったらしいが、アスファルトで舗装された道路からの反射熱を加味すると、そんな気温では済まされない。
    その暑さに到底耐えられそうにないから、バス到着の瞬間を見学するのはまた後日にするとして、高速道路の下を調布方面に進む。

    途中、あちこちに道路公団の敷地が目に付いた。集合住宅の林立する敷地もあれば、機材置き場になっている土地もある。
    料金所の下は、ちょっとした運動場になっていて、少年野球チームが練習をしていた。でも、はっきりいって通行人には迷惑。
    とはいえ、1000億円もの無駄金と言われる我々の税金を吸い取って、のこのこ生きているような人間と比べるとまだマシか。しかし、マナーはちゃんと守らないとね。宇宙に存在している原子の集合体としての最低限のルールです。

    しかし、話がややこしいのは、そういう不正に得たブラックマネーがないと、生活すらままならない人々がいるという現実。政府の責任にするのは容易いが、政治家を選出している国民の責任でもある。選挙権の無駄遣いが1000億円の無駄遣いになっている現実。民主主義の真実。


    泉麻人の本で、東京周辺を自転車であっちこっち走り回った体験談を書いているのがある。彼も三鷹バス停を訪れていた。
    放浪癖のある人って、似たような趣味を持っているんだだろうか。

    帰りは吉祥寺にちょっと寄った。オフ・イベントに使えそうな場所を探してきた。なかなかいいところが見つかった。どうなるかは判らない。
    それにしても、忙しい時に限って色々大変になってくる。
    OFF会に参加する人のなかで、お手伝いいただけるかた居ましたら、お願い致します。切実なお願いです・・・。

    投稿者 taku : 15:12 | トラックバック

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